コラム

トルコ・クーデター未遂とエジプト政情不安の類似点

2016年07月19日(火)16時40分

 問題は、2013年の軍クーデターが市民の声に後押しされて成功したことだ。軍がムルスィーを引きずり下ろす前、カイロなど各地で反ムルスィーの大規模デモが繰り返されていた。その混乱を収拾するとして、軍が出てきたのである。そこで、軍の政治介入を歓迎する「市民」と、民主的に選ばれたイスラーム政権を支持する「市民」が、真っ二つに割れた。

 この現象は、エジプトに見られるだけではない。拙編書ではタイの事例を、タイ政治研究の第一人者、玉田芳史・京都大学教授に書いていただいたが、そこで明らかになったのは、タイでも選挙で多数を獲得したタクシン政権に対して、それを支持する「市民=赤シャツ」と反対する「市民=黄シャツ」とが対立、2014年に軍のクーデターを呼び込んだという事実である。選挙で政治参加を果たした中・下層社会の「市民」が政権の庶民受けする政策を歓迎する一方で、中・上層社会の「市民」はエリートとしての誇りをもって政権のポピュリストぶりを批判する。その構造は、2013年時点のエジプトと似ている。

 つまり2、3年前に相次いで発生した軍クーデターは、市民社会そのものが激しく二極分解しているところで起きたといえよう。そして、民主化の重要な前提条件とみなされてきた「市民社会」が、民主化の結果成立した政権を軍という非民主的手段で倒したところに、解明すべき深刻な課題がある。それは軍自体の問題というより、分極化した市民社会の問題である。

【参考記事】アメリカがギュレン師をトルコに引き渡せない5つの理由

 トルコのクーデター未遂事件では、市民社会の軍の介入に対する忌避感が非常に強調される形となった。戦車の前に立ちふさがる、反乱軍人に手で向かい合う、といった姿は、アラブ世界でいえば「アラブの春」の初期に、カイロなどでしばしば見られた、心を打つ映像である。

 だがそれは、その後のエジプトやタイで見られたような市民社会の分極化を、トルコが免れることを意味するのだろうか。エルドアン大統領の強権化に対する市民の反発は、高まっている。軍の政治介入は言語道断だとしても、それはすなわち現政権支持を意味しない。エルドアン支持層の庶民層に対して、エルドアン批判を展開する中・上層の、特に知識人層の間に、亀裂は存在する。その亀裂が、今後どのような形で政治に反映されるか。クーデター関与者に対する粛清を明言しているエルドアン大統領への一層の権力集中は、さらに反対派の神経を逆なでするだろうが、それがどういう形で「噴出」するか。

 ちなみに、エジプトのスィースィー大統領は、国連安保理がトルコのクーデター反乱部隊の暴力への非難を決議しようとしたことに反対し、結果、決議は採択されなかった。トルコではクーデターの背景にアラブ諸国あり、といったうわさも飛び交っているようで、市民社会の分極化とともに、中東域内の分極化もまた、深刻だ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
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