コラム

『ドライブ・マイ・カー』に惚れ込むアメリカの映画界

2022年02月11日(金)14時40分

1つは、この間、丸2年にわたるコロナ禍の中で全てのアメリカ人は、傷つき、疲れているということです。生活の不便や健康への不安、そして親族や知人の罹患や闘病の知らせなどに神経をすり減らしてきたわけです。人々の孤立と分断への疲れもあります。

この『ドライブ・マイ・カー』は静かにそうした傷を癒やしてくれる作品というわけです。私は、近所の大学街のそれこそ文芸劇場のようなスクリーンで鑑賞しましたが、長い作品にも関わらず途中でギブアップする人はなく、観客は本当に静かに見入っていました。

濱口監督の独特のテンポ、時間と空間の心地よい感覚がまず癒しであり、人物の内面を静かに掘り下げていく描写もまたそれ自体が忘れていた人間性の回復のように思われるのだと思います。そして、最後の大きな2つのクライマックスと、そこに満ちている希望のメッセージは、まさにアメリカ人の心に刺さったのでしょう。多くの批評家が「ただ事ではない絶賛」を寄せているのも分かる気がします。

2つ目は、トランプ時代に疲れたアメリカ人への癒しとなっているという点です。本作は、まず「字幕付きの外国語映画」ですから、そのファンは知的な階層に限定されます。そして、その多くはリベラルの立場に立っていると思います。彼らはコロナ禍に傷つく前に、トランプ現象に驚き、怒り、そしてトランプ的なるものがアメリカを振り回すことへの絶望と疲労を感じてきた層でもあります。

セラピーのように包み込む

これに対して、この作品は「他者への赦し」「罪障感からの救済」「圧倒的な多文化主義など多様性への讃歌」「演技が国境と言語を超えるという希望のメッセージ」といった、それ自体が「セラピー」であるような要素が盛り込まれています。そして、その諸要素が100%パーフェクトではないものの、よく出来たパッチワークのように収まって、美しく観るものを包み込むわけです。プロアマ問わず、多くの批評として「生まれて初めての深い体験をした」というコメントが見られるのはこのためだと思います。

3つ目は、やっぱりアメリカ人は日本が大好きということです。パンデミックで国境が閉鎖されている間にも、ラーメン人気は加速する一方であり、「あつ森」現象に加えて「鬼滅の刃」ブームと、日本文化への「片思い」はそれこそ弾けそうになっています。

ですから、本作における「小説『木野』に出てくるような日本のバー」「日本の美しい自然と街並み」などは、もうそれだけで「手の届かない憧れの世界」になっているわけです。加えて、アメリカのリベラルの人たちは、保守系とは違ってアジアの文化に親しみがあります。ですが、どんどん異なった価値観の方向に進む中国や、「パラサイト」「イカゲーム」など少し息苦しい韓国カルチャーと比較すると、この濱口ワールドが見せてくれる「日本の文化における圧倒的な成熟」というのは、やはり「自分達にとって最も親しい異文化」として感じられるのだと思います。

カルロス・アギラーという批評家が「ロジャー・エバート・コム」という批評サイトで、「濱口監督は日本人として3人目の監督賞ノミネートだけど、他の2人は勅使河原宏と黒澤明なんだよ、すごいと思わないかい?」などと書いていましたが、とにかく本作への、そして濱口監督への賛辞はかなりの熱気となっているのは間違いありません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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