コラム

ヴァレンティノ炎上CMで、踏まれているのは「帯」なのか「布」なのか?

2021年04月01日(木)15時15分

では、亡くなった寺山監督に対して失礼かというと、そうでもないのです。というのは、鏡花の小説がテーマとしているのは、「純粋な悲恋」や「難産で落命した母子など死者への追悼」であり、映画版とは異なるからです。小説としては「入れ子」構造にしながら怪異小説の体裁も取るという凝った造りにしていますが、核にある価値観は鏡花らしく筋が一本通っています。

ということは、屈折したセクシャリティの表現を多用している寺山作品自体が原作の鏡花の作品を、歪曲しているとも言えます。ですから、今回のCFが『草迷宮』のモチーフだけを使って、さらに別の表現にしているのは、全く問題はないと考えられます。また鏡花の作品『草迷宮』についていえば、アニメ『攻殻機動隊』やマンガ『草迷宮・草空間』(内田善美作)など、様々な作品がオマージュを捧げていますから、その延長でのCF企画という位置づけにもなるのでしょう。

3点目は、メッセージ発信の難しさということです。

鏡花から寺山修司へという、日本のカルチャーの歴史の中で起きた響き合いの現象を同時に伝えておけば、今回のCFについては、少なくとも映像表現としての意味付けと共に広がって行った可能性があります。そうなれば、「日本文化の象徴である帯」を踏みつけられて「傷ついた」とか「憤慨した」などといったクレームに潰されることもなかったはずです。

さらに言えば、日本の文化には「帯解け(おびとけ)」という概念があります。女性の帯を解くということですから、そこにはセクシャルな意味があり、寺山作品の場合は、少年は解かれた帯の上を歩くことで女性に引き寄せられ、また死を意味する海へと引き寄せられます。ですが、今回のCFでは、その帯を踏んでいるのはモデルのKokiさん、つまり女性です。

「帯解け」が象徴するイメージ

男性が女性を性的な対象としか見られないという文化の象徴が「帯解け」であるならば、今回のCFにおいて、女性のKokiさんが帯を踏んで歩くというのは、アジアの女性が自分たちが「性的な対象として消費されるのを拒否する」という意味が込められているとも考えられます。Kokiさんが踏んでいるのが、「帯」ではなく「布」だということにする、そうして鏡花の原作に回帰しつつ、寺山作品の持っていた屈折したセクシャリティを消した、そんな解釈も可能は可能です。

このCFの最大の問題がここにあります。寺山作品と鏡花作品へのオマージュだという前提情報が、しっかり流れなかったということがまずあり、仮に、アジアの女性の自立という意味を込めるのなら、もっとそれを強調した演出にすべきだったということです。

ネットという「信じられないほど広範な層に猛烈なスピードで浸透する」メディアにおいては、必要な関連情報は全てコンテンツに一緒に埋め込まないと伝わりません。また、広範なビューを前提とするのなら、メッセージは強めにしっかり表現しないと伝わらないのです。今回の騒動はそのような教訓を残したといえます。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 10
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story