コラム

TPP妥結の政治的意味、日本とアメリカ

2015年10月06日(火)18時30分

 ですが、その裏には「自由貿易」を巡る南北の抜き差しならない対立がありました。南北戦争の直前、農場主などを中心とした南部の経済は「商工業ではなく農業」、「大きな政府ではなく小さな政府」、「競争力がある以上は自由貿易を」という政治エネルギーとなっていました。そして奴隷制の問題は、その「農業における低コスト体質」を支えていたのでした。

 これに対して、北部を中心とした商工業の利害としては、「まだ欧州に比べると競争力が十分でない」中で、政府による産業保護や、通商の安全を確保するための安全保障を求めていました。

 つまり新興国アメリカが、国際化しつつある経済の中でどう進んでいくのか、その方針が南北で真っ二つに割れてしまったわけです。それが「北部エスタブリッシュメント」対「南部農場主たち」という政治的な対立エネルギーを激しく煽ったのです。

 さらに言えば、北部が奴隷制に強硬に反対した背景には、まだ欧州に比べると脆弱であった工業を「保護貿易」で守るためには、「奴隷制という無法により競争力を持ってしまっている」南部の農業経済が「自由貿易を求める」こととは「相容れない」という構造があったわけです。

 結果的に北軍が勝利しましたが、その後の「南部の再建(リコンストラクション)」はなかなか進みませんでした。北部が恐怖政治を敷いたという問題もありますが、何よりも「奴隷制という悪しき低コスト構造」が消滅した後の南部経済で、「収益体質を再建する」という根本的な問題が解決しなかったからでした。

 このようにアメリカは「自由貿易か保護貿易か」という論点を奴隷制の問題に重ねて内戦までやった国であり、その対立構造は現在にまで続いています。そんな中、このTPPが妥結されたというのは、やはり画期的・歴史的だと思います。

 また、各国がギリギリまで利害を主張しつつ、最後はとりあえずの「落とし所」へと持っていきました。多国間の自由で柔軟な交渉により、貿易の公正なルールを決めるというスタイルは、中国に対して「オープンな貿易ルールに従うように」というメッセージを発信できるところが有効だと思います。

 各国の批准と発効に関しては、まだ未確定要素も多いですが、とにかくこのメッセージを本当に有効なものとするためにも、環太平洋圏がこの新しい枠組みの中で経済的に繁栄することが大切だと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ミャンマー地震の死者1000人超に、タイの崩壊ビル

ビジネス

中国・EUの通商トップが会談、公平な競争条件を協議

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 5
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 6
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 7
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 8
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 9
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 9
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 10
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story