コラム

ヨーロッパの「ロマ差別問題」に鈍感なアメリカ

2013年10月24日(木)14時35分

 ここ数日、ギリシャのロマ居住区で先週の水曜日(16日)に「発見」された少女のニュースがアメリカでは話題になっています。ギリシャの警察当局がギリシャ中部のラリッサ市近郊のファルサラにある「ロマ住民キャンプ」で非合法な武器と麻薬の保持に関する捜査を行っている最中に、白人で青い目をしたブロンドの少女が、ロマの夫婦によって養育されていたのを発見し、夫婦を誘拐罪で逮捕しているのです。

 どうしてアメリカでこのニュースが大きく報じられているのかというと、アメリカでは子供が誘拐されて失踪する事件というのは、社会問題になっているからです。そこで、今回「発見」された「マリア」という少女が「もしかしたらアメリカ人の子供かもしれない」ということで、関心を呼んでいるというわけです。

 特に、カンザス州で2年前に当時は生後11カ月で行方不明になった「リサ・アーウィン」という女児の両親は、「マリアはリサに似ている」と「希望を寄せて」います。

 ちなみに、少女の保護を担当しているNGOの弁護士によれば、アメリカ、カナダ、ポーランド、フランスの計4カ国から「マリアは自分の子供ではないか?」という問い合わせが10件ほど来ているそうです。その他に、アイルランドの夫婦が「自分の娘かもしれない」と強い関心を寄せていると報じられています。

 その後、マリアという少女は、保護された当初考えられていた3歳前後ではなく、5~6歳であることが判明しています。またインターポール(国際刑事警察機構=ICPO)が受理している行方不明児童のデータベースにあった600件のDNA照合作業の結果、合致したケースもないと報道されています。

 そんなわけで、アメリカでのこの事件の報道は、特にNBCなど三大ネットワークのテレビでは、「行方不明児童の親」の視点で「もしかしたら自分の子では?」という観点での伝え方が中心になっています。大部数を誇るニューヨークのタブロイド紙「ニューヨーク・ポスト」の見出しなども「米夫婦、マリアは自分の娘との希望を捨てず」とか「児童人身売買の恐怖」といったニュアンスです。

 この事件、観点を変えてみればヨーロッパでここ15年間テンションの高まっている、「ロマ差別問題」と密接な関わりがあるように思います。ですが、アメリカではそうした観点での報道は限られています。

 一般的に「ロマ」と呼ばれている人々は、かつて「ジプシー」という蔑称で呼ばれていたグループの一部で、インド系を祖先に持つ移動型の民族です。その居住地は、主に中欧から東欧にかけての地域ですが、ヨーロッパ全域に分散しており、EUの調査では欧州全体で1000万人以上のロマが住んでいると言われています。

 このロマの人々ですが、昔から様々な差別や迫害を受けてきています。最大のものは、ナチスドイツにより、民族として絶滅対象に指定され50万人といわれる人々が虐殺された事件です。ユダヤ人を対象とした「ホロコースト」に対して、このロマへの迫害は「ポライモス」と言われています。

 ロマへの迫害や偏見は戦後も続きました。そんな中、東欧の民主化やEUの発足という動きは「移動型の民族」であるロマにとっては行動の自由や人権の確保にとってプラスになると思われましたが、そう簡単には行きませんでした。民主化後のチェコスロバキアではロマの人々の定住化が進められましたが、他の住民からの迫害が絶えませんでした。

 そのチェコと「協議離婚」したスロバキアでは、その後も問題が絶えず、昨年2012年には警官によるロマ3人の射殺事件が起き、今年の夏にもロマ居住区との間に「壁」を作るという動きをめぐって大きなトラブルが起きています。ブルガリアやハンガリーでも、保守派によるロマ居住区への迫害行為が問題になっています。

 また西欧各国では、居住権のないロマに対して「国外追放」の動きが盛んになっています。「追放先」としては、ルーマニアなど「ロマの多い国」になるわけですが、そのルーマニアでもロマに対する差別は続いているようです。

 最近のニュースとしては、フランスのオランド政権が、ロマの家族全員をコソボへ「国外追放」する際に、警察が15歳の少女を学校から連れ去ったとして、高校生の抗議行動を招いています。この事件について、オランド大統領は「少女の就学権は認める」という妥協をしたようですが、ヨーロッパでは大きく報道されているこのフランスの事件については、アメリカではニューヨークタイムズが23日(水)に取り上げた程度で、余り話題になっていません。

 そんなわけで、この「ロマ問題」というのは欧州にとっては非常に難しい問題であるのですが、アメリカにとっては「遠い国の他人事」という感覚のようです。行方不明のアメリカの児童が発見できればいいし、国際的な誘拐や人身売買(トラフィッキング)行為に関係があるのであれば許しがたい――だが、それ以外の点には関心を持たないということのようです。

 1つには、アメリカが今、ヒスパニック系の不法移民の問題を政治課題として取り組んでいることが挙げられます。共和党の若手を含む多くの政治家が「不法移民に合法滞在の道を開く」制度を作ろうと、神経を使って調整中です。移民問題ということでは、この問題で手一杯ということが言えるでしょう。

 また、ユダヤ系やアルメニア系と異なり、ロマの人々はヨーロッパで迫害を受けても、まとまったグループとしてアメリカに移民してきていないという事実もあると思います。結果として、ホロコーストと同じようにナチスの迫害を受けたにも関わらず、アメリカではロマの人々の歴史や状況に関しての関心は、現状としては薄いのです。

 本稿を書いている途中で、新しいニュースが入ってきました。ギリシャの別のロマ居住区で「マリア」とは別の保護された少女を調べたところ、DNA検査の結果、先ほど述べたアイルランドの夫婦の子供だということが判明したそうです。これによって、改めて「マリア」が西欧もしくはアメリカから誘拐された可能性が高まった、そのような報道が始まっています。

 本当に国際的なトラフィッキングが行われ、それにロマの人々が積極的に関与しているのであれば、厳しい捜査がされるべきでしょう。ですがその一方で、ヨーロッパ全土で差別を受けているロマの人々に対して、単に定住を促進するだけでなく、貧困と教育の対策をEU全体あるいは国連として取り組むべきと思います。今回の一連の事件を、単なる「ロマ断罪」に終わらせてはいけないと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏とゼレンスキー氏が「非常に生産的な」協議

ワールド

ローマ教皇の葬儀、20万人が最後の別れ トランプ氏

ビジネス

豊田織機が非上場化を検討、トヨタやグループ企業が出

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 7
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story