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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
「坂の上の雲」と現代アメリカの「戦争」
NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の最終第3部が始まりました。このドラマに関しては映像化を封印した著者の意図を著作権継承者が翻すことの是非であるとか、日露戦勝の神話を復権させるのはイデオロギー的に許容できないなど、様々な批判があるようです。
ですが、今回始まった第3部の前半を見た限りでは、高橋英樹さんのセリフの見事な呼吸感、目線の演技だけで乃木希典という漆黒の静謐感を表現してしまった柄本明さんなど、TVドラマにおける表現としては1つの極限に達してしまったのは事実だと思います。
特に「乃木的なるもの」の絶望的な暗さをここまで丁寧に表現できたということについては、司馬氏も映像化封印への違反を許してくれるかもしれません。
それはともかく、現代のアメリカでこのドラマを見ていると、改めて「戦争とは何か」という問題を突きつけられる思いがします。戦争とは何を目的として戦われるのかということです。戦争の目的は戦勝ですが、戦勝というのは相手を戦争継続が不可能な状態へ追い込むことに他なりません。
つまり、「内政と外交、経済、兵力」の全てにおいて、戦争継続が不可能な状態へ相手を追い込めば戦勝となるわけです。「坂の上」が描く日露戦争においては、日本とロシアの双方は、こうした戦争目的を明確に持っていたし、それゆえに戦闘が起き、そして終結を見たわけです。
そこで思い起こされるのは、現代のアメリカが仕掛けている「反テロ戦争」というのは、20世紀初頭に日本とロシアが決意し実行した戦争とは、全く異なるということです。
まず、相手が何かということが分かっていないわけです。例えば「反米的イスラム原理主義」なるものがあるとして、その実態とは何なのか? 例えば、ビンラディンに代表される産油国の富裕層の「自分探し」なのか、タリバンのような非産油国の貧困層の情念なのか、イランのように内政上の求心力にされているだけなのか、全く分明ではないわけです。
相手が誰であるか分からないまま、戦争の開始も遂行も撤退も、全てが自国側の事情だけで判断がされています。テロへの報復感情を具体化しなくてはならないという内政上の理由で開戦がされ、財政が行き詰まるから撤兵する、そこには具体的な戦争目的はありません。親米政権の安定化というのが表面的には目的として掲げられていますが、何をもって安定化とするのかは実は曖昧なままです。
もう1つ、アメリカで「旅順攻防戦」を見ていて思うのは、この日露の戦争、そして第2次世界大戦を通じて日本という国は、人命を軽視し続けた果てにはロクなことはないということを、骨の髄まで学んだということです。この点に関しては、特にアメリカとの比較において日本人は静かな誇りとして良いのだと思います。
この点に関しても、今回のテレビドラマ版「坂の上の雲」は、司馬氏のメッセージを伝えることに成功している、旅順陥落までを描いた現時点ではそのような評価が可能と思います。
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