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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
日本の教育について考える(「接続」の問題)
昨年もこの欄で教育について色々とお話をしてきました。日本の教育については大きな改革が待ったなしで必要だと、その思いは年を新たにして益々実感が強くなっています。ですが、強い思いをそのまま網羅的な正論として吐き出すだけでは、自己満足と敵味方の力比べの材料を提供することになるだけで改革へ向けての議論の生産性は上がらないわけで、特にこの教育のように世界観が絡む問題では尚更です。
そこで、今年はこうした問題については、より具体的にテクニカルにお話することで、具体的な個別の成功事例に結びつけやすいようにする、そんなアプローチを志向することにしました。今回は、日本の教育の抱える「接続」という問題を切り口にお話することにします。この「接続」ということをキーワードにすることで、日本の教育の問題はかなり浮き彫りになるし、逆にこの接続ということでの改善ができれば、一歩一歩でも改善の成功事例を生むことができるように思うからです。
まず、大学と企業の接続ですが、例えば文系の大学から企業の事務職や営業職になる場合は、この接続というのはほとんどゼロです。つまり、大学で学んだことを企業側は評価しないし、より良い職を得るためには大学でより良い成績を取ることは必要とされていません。例えば、企業のマーケティングやPRの方針は、企業それぞれに独自のものがあるので、大学で履修してきたことは役に立たないのです。
高校から大学という接続も機能していません。例えば、東京大学の理科一類に入学して、その後に工学部の機械工学科への進学を希望する学生がいたとします。機械工学には物理学の履修が必須ですが、例えばその学生が「化学+生物」で受験したとしても、理科一類には入れてしまうのです。では、東大に受かるぐらいなら高校で物理をちゃんとやっているだろうというと、その保証はありません。
仮に物理で受験したとしても、物理が苦手で化学と数学が優秀ならば、英語と国語の成績次第では入れてしまいます。つまり、機械工学科進学希望の学生だと分かっていても、必ずしも真剣に物理を履修していない、例えばニュートン力学の基本思想を納得していないようなレベルでも入れてしまうのです。東大でも、ずいぶん前からこうした「高校での履修が不充分なために、大学の必須科目についていけない学生」が問題になっているようですが、他の大学でもたくさんこうした例はあるようです。
もっと言えば、高校の履修内容でも大学入試には不充分なことが多いので、学生は塾や予備校に行くわけですが、そうなると、高校の履修内容と入試の要求水準の接続、そして入試の合格基準と大学で要求される学力の接続というどちらも機能していないわけです。高校、入試、大学の3つがバラバラというわけです。
同じことは中学から高校、小学校から受験して入る国公立私立の中学の接続、更には小学校での「お受験」などにも当てはまります。下の学校の成果を上の学校がそのまま信じられない、従って下の学校の期間にはその学校で求められる成果と上の学校の入試に受かる「別の技能」を身につけなくてはならない、その入試は一種の資格試験で、それに受かったからといって、入った学校のカリキュラムと整合性のある学生だということにもならない、そうした「接続」ではなく「分断」が教育課程の全体にわたって存在しているのです。
大学と企業の分断には、例えばそれぞれのカルチャーが異なるための分断という問題がありますが、同じことは小学校から中学の場合もあるようです。1人1人が教室の中で対等であった小学校の世界から、部活などで高学年と接する中学では、「先輩後輩」という「上下関係の世界に放り込まれる」そのストレスが大変だというのですが、これもおかしな話です。
不慣れな下級生が入ってきたら、学校に慣れるように支援するのが上級生の役目であり、例えばリーダーシップ教育というのがあるのならば、より若い人の能力を引き出したり、安心感を与える技能を教えなくてはなりません。その反対に「先輩後輩」などというそれこそ、土佐藩の「上士と下士」のような虐待の連鎖をやっていてはダメだと思うのです。
この点に関して言えば、今の社会は、少なくともまともな企業や団体では、年齢や性別で自動的に上下関係ができるような単純な組織にはなっていません。年下の女性が年上の男性をマネージしたり、中途で入った人が社歴の長い人を指導したり、色々な逆転現象が起きるなかで、お互いが礼節と距離を置かねばやっていけない、そんな組織になっているのです。その意味で、中学高校に「先輩後輩」カルチャーが残っていること自体が実社会との接続がされていないとも言えます。
勿論、この「接続」がうまくいかない背景には、制度の問題が横たわっています。かつては、中卒や高卒で就職する人材も多くあり、またそうした労働力が求められると共に、必ずしも大卒でなくても正規雇用として人生設計が可能な時代が長く続いていました。ですが、今は、大卒の40%が内定が取れない一方で、大卒でなくては正規雇用は難しいし、高卒でなくては非正規も難しいと言われる時代です。そうなると、中学や高校を「そこで社会にでる人間」を前提に、上の学校と切り分けておく必然性も弱くなっています。やはり「接続」を強く意識して「K to 16(幼稚園から大学4年生)」の統合カリキュラムを各教科、各技能ごとに一貫性を持たせることが必要だと思います。
小中は市町村立で、高校は都道府県であるとか、大学はまた別であるとか、文部科学省内での部局の分断ということもあるでしょう。改革の「抵抗勢力」は相当なスケールを覚悟しなくてはならないと思います。ですが、教育の各段階で「接続」がされていないことの積み重ねは、壮大なムダを生んでいるのです。人材の国際競争力に疑問が持たれるようになっている現在、このことはもはや無視できないと思います。人材の国際競争力という点について言えば、一部の日本企業では「元気のない日本の若者より中国人を新卒で取る」などと大声で言う経営者が出てきています。
ですが、日本の若者が劣っているのではないのです。元気がないように見えるのは、キャリアへ向けて技能と動機付けを教える機能を公教育が持っていないからであり、その背景には企業と公教育の接続の問題があるのです。学力不足が問題になる背景には、それこそ幼稚園から大学までの「接続がされていない」ことのムダがあります。恐らく、そうした経営者は「日本の教育を変革するなどという絶望的な努力をするぐらいなら、中国の若者を採用したい」と考えているのでしょう。それは誤りであり、そうした発言にある無責任さを私たちは乗り越えてゆかねばならないのだと思います。
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