コラム

尖閣で問われているのは、歴史認識ではないのか?

2010年09月27日(月)11時53分

 尖閣諸島近海における、漁船の体裁をした中国船舶が海上保安庁船艇の停戦命令を無視して衝突してきた事件に関しては、アメリカの報道は、それほど強い関心を寄せてはいませんでした。ですが、先週末に急転直下、船長の釈放という展開になってからは、中国が報復的と見られてもおかしくない輸出入の規制や、東北部における日本人4名の拘束を行っている件とあわせて、新聞、テレビ、インターネットにおいての事実関係の報道はされています。

 例えば、CNNの報道(電子版)では、東北部におけるフジタ工業社員4名の拘束に付随して、中国人1名も拘束されている模様とのことです。仮に事実であれば、この「中国人1名」の件は、どうして日本のメディアでは一切出てこないのでしょうか? 仮に事実だとして「中国人の案内人がいたのに誤って立ち入り禁止区域に入った」のか、「その案内人が何らかの意図を持って動いていたのか?」「法的に公正な逮捕を行ったというアリバイのために中国人も逮捕しているのか?」などの点は一切不明です。

 この件に関しては私としてはウラを取る手段も今のところありませんので、これ以上の深追いは避けます。それよりも、気になったのは、この報道とは別のCNNのネット記事でした。その記事は中国の行動に関して比較的冷静な、つまり日本側からみても客観的な報道でした。にも関わらず、記事のトップに描かれていたのは「サンマの山の上で破られている旭日旗」という意味不明の写真でした。CNNのようなかなりニュートラルなメディアでも、そして記事内容が中立的なものであっても、日本が海洋権益や領土の問題で何らかの対外的な主張をしているというニュースは、戦前の帝国陸海軍のイメージに重ねられてしまうようです。この記事に関しても、寄せられたコメントの中には、中国外交の恫喝的姿勢を批判するものだけでなく、旧日本軍の暴虐を述べて問答無用に日本を悪玉にするものもあり、写真がこうしたコメントを誘発している面は否定できません。

 このようなパターンは、戦勝により歴史の正統性を獲得した連合国(アメリカであり、そして中国も)からは、日本の軍事外交上の主張にはどうしても悪しき帝国陸海軍のイメージを喚起してしまうことから来るのですが、これは今後もっと高度な形での応酬が予想される中国との外交戦、とりわけ国際世論を巻き込んだ心理戦を戦うには著しく不利だと思います。そう申し上げると、「だから自虐史観は修正して、戦前の判断の弁護をすべきだ」という声が聞こえてきそうです。こちらもまた、中国の外交攻勢を勢いづかせ、更には日本の孤立を画策する効果も産んでしまうわけで、善悪や正邪の以前として戦略的には愚策です。

 私論ですが、戦前戦後を通じて「国体が連続している」から戦前の歴史認識の自己弁護をすべきという立場も、「国体が連続している」から現在の政府や国民が謝罪の主体となることで倫理的正当性を確保しようという立場も、もはや無効なのではないでしょうか? 高度な心理戦や外交戦はそんなことでは戦えないのであって、「戦後の平和国家としての実績により国体は浄化され」戦前との間には不連続があるのであるから、戦前の日本が起こした様々な事件に関して、現代の価値観に照らして許されない点は「国際社会と共に批判する側に回る」という立場に立つべきではないでしょうか? 例えば法治や近代的な人権という価値観から、国際世論を味方にしてゆくためには、その方法しかないのではないか? 改めてそう思い始めた次第です。

 例えば今回の尖閣での1件について、あたかも報復するかのように拘束されているフジタ工業の社員は、旧日本軍の遺棄した兵器の処理を目的に、その事前調査に入って拘束されたようです。ですが、これとても、仮に旧陸軍の東北部における生物化学兵器の開発なり、その際に人体実験が行われたという疑惑なりを受けて、日本政府が予算を支出して有毒物質の無害化をするプロジェクトがあり、その準備作業という「中国人の安全に貢献するため」の活動に関連して拘束を受けたということになります。これまた大変に理不尽な話です。

 中国東北部において、旧日本軍が遺棄した物質が現在の価値観からは違法な行為の結果の遺棄であるならば、「浄化された現代日本の国体」はそうした行為の批判者であるべきであって、その上で援助行動としての費用負担ということがある、そうした理解をさせなくてはダメで、現代においても謝罪の主体になるような姿勢を続けていても、日中の世論の和解には何ら貢献しないのではないでしょうか?

 最終戦争のはずの第二次大戦に敗北しつつも国体を護持した結果、現在の国体もまた汚れを背負っており、永遠の謝罪者であることが倫理的な満足感になるという人生観、価値観に関しては今なお世論や現政権に強い考え方であることは間違いないと思います。それはまた、日本国内の多様性を担保する効果も担っているのも事実です。ですが、国境を一歩出た途端に、この発想法は国益にも寄与しないばかりか、精神的な尊敬を勝ち得ることもほとんどないことを直視するべきだと思います。

 尖閣の関連では、中国海軍は非公式ながら「第一列島線、第二列島線」なる戦略を持ち、2010年代の半ばまでは台湾や尖閣を含む東シナ海の大陸棚すべてにおける制海権を、そして2020〜40年頃までには、小笠原以西の太平洋の制海権確保を目指しているようです。台湾や日本の安全を100%脅かすような話で、仮に海軍内部の構想にしても言語道断です。ですが、この「第一、第二」という発想法の背後にある覇権主義は、100年以上前のアジアで日本の山縣有朋の主張した「主権線、利益線」という二段階防衛論の焼き直しであると言えます。

 ならば、この「第一列島線、第二列島線」という発想そのものを外交で徹底的に否定するためには、後に日清日露という形で東アジアを動乱に導いた山縣の「主権線、利益線」という思想をも徹底的に否定しなくてはならないはずです。中国は敵だから、敵の拡大政策には反対するが、自国の過去の拡大政策は生存のためだったというロジックでは、国際社会には通用しないでしょう。当面は経済と人口を中心に国力の漸減に直面する日本としては、そのような「分かりやすい」立場を取って国際社会を味方につける戦略は必須ではないのかと思うのです。

 山縣的なるものが自国に遺産として引き継がれているとして、(少なくともオレはそうじゃないからと)野党の時は政権批判をし、与党になってからは謝罪の主体となるようなことを続けるのも、その反対に山縣的なるものの弁護に走るのも、今回の尖閣の一件で共にその無効性が明らかになったのではないか? 私にはそう思えてなりません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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