コラム

「フライング」だった? 「戦勝キス」のタイミング

2010年08月20日(金)11時23分

 第2次大戦終結の8月15日(アメリカでは時差の関係で14日)のことは、アメリカでは「VJデー」(日本に勝った日)という呼び方をする人がいます。ただ、正式な「VJデー」というのは、東京湾内でUSSミズーリ艦上で、日本の重光葵外務大臣が降伏文書に署名した9月2日ということになっています。当時のトルーマン大統領が「今日が正式な戦勝の日」だという発表をしたからそうです。一方の8月15日の方は戦争に勝った日ではなく、公式には「日本の降伏の日」という言い方になるのですが、それよりも、もっとカジュアルな感覚で「勝って戦争が終わった解放感の日」というイメージで受け止められています。

 そのカジュアルなイメージを象徴するのが、ニューヨークの街中に飛び交った紙吹雪であり、更にはタイムズスクエアでの「水兵と看護師のキス写真」という形で歴史に残っているのです。この「看護師と水兵のキス」については、最近そのタイムズスクエアに、その2人の大きな像が建てられて改めて有名になっているようですが、今年の8月14日には『ニューヨーク・タイムス』にはこのエピソードに関連した興味深い記事が出ていました。『キスについての看護師の証言。あっ、でもあの看護師ではないですが』という思わせぶりなタイトルが、歴史的な「キス写真」と共に1面を飾っていたのです。

 アンディ・ニューマン記者によると、タイムズスクエアで「歴史的なキス」を目撃した、グロリア・デラニーさんという別の女性看護師の証言によると、この「キス写真」はまだまだ日の高い時間だったので、トルーマン大統領が「日本の降伏」をラジオで発表した午後7時3分(東部時間)より数時間前だったというのです。ちなみに、デラニーさんは確かに看護師の制服を着て「歴史的写真」の背景に写っています。

 記事の趣旨としては、それほど深刻なものではありませんでした。歴史的な写真とされているが、正確には降伏の発表前の「フライング」だったことが判明した、だが同じくデラニーさんの証言によれば、1945年8月14日のその日は、お昼ごろからニューヨークの街は「いつ発表があってもおかしくない」として浮き足立った気分になっていたらしい、ちなみに、デラニーさんは夕刻まで勤務の予定だったのが、上司から「今日は特別だから早退して良い」と言われ、「だからといってとても家に直行する気分でもなく」盛り場へ向かった、スト―リーとしてはそんなところです。

 どうして自分も、そして「歴史的写真」に写った「キスの当人」も看護師の制服を着ていたのかというと、本来は勤務が終わったら着替えて退勤するのがルールだったが、その日の気分としては「そんな面倒なことはしたくない」感じだったというのです。ということで、ニューマン記者の記事を評価するとしたら、「歴史的写真」が「降伏の正式発表以前のフライング」だったという特ダネを得たが、まあ戦勝の歓喜の余りということだから「それはそれでいいではないか」というニュアンスの他愛ないもの、それ以上でも以下でもないと思います。

 そうは言っても、私としては色々と気になったのも事実です。以下、箇条書きで感想を記すことにします。
(1)日本時間で言うと、玉音放送が15日の正午で、それまでは映画『日本のいちばん長い日』などに描かれているように、陸軍の一部には天皇の録音盤を奪って「降伏」を止めさせようというクーデターもどきの動きがあったわけです。NHKの当時の職員は身体を張って録音盤を守ったわけですが、それを考えると、アメリカ側では日本時間の15日午前8時にトルーマンの全国民向け放送、更にそれに先立って日本時間の午前6時前にはニューヨークの街はお祭り気分になっていたわけで、この時間差の問題は何ともやりきれない感じがします。このタイミングで尚も戦闘が続いていた樺太や、数日後に悲惨な戦闘の始まる千島の情勢のことも胸に引っかかります。

(2)戦争の始まった1941年12月8日に関しては、山本連合艦隊司令長官などが「最後通牒交付後の攻撃」を厳命していたにも関わらず、公式の歴史では在ワシントン日本大使館での「暗号解読遅延」により交付が遅れ、結果的にアメリカ側では「だまし討ち」だとして世論誘導に使われてしまっています。その「時間のズレ」と山本提督の無念を考えると、戦争終結時にあった「フライングの戦勝キス」という、逆の「時間のズレ」というのは、何とも虚しい感じがします。

(3)元看護師のデラニーさんの証言では、どうして8月14日のお昼ごろからニューヨークがお祭り気分になっていたのかというと、「トルーマン大統領の声明がいつあってもおかしくない」と報道されていたからであり、これに加えて「2発の原爆攻撃が成功しているので、日本の降伏は秒読み」ということが世論に浸透していたこともあったということでした。現在はともかく、この時点でアメリカの人々が「原爆攻撃成功」を喜んでいたという事実は、ただただ敗戦の一プロセスとして受け入れるしかないようにも思うのです。ですが、その後、悲惨な原爆の惨禍が明らかになったにも関わらず、核攻撃を正当化する世論が50%強というのは何とも残念です。ルース大使の慰霊祭参列だけでなく、国家元首の相互献花外交などによる真の和解と追悼が求められるゆえんです。

(4)タイムズスクエアといえば、日清食品の巨大なカップヌードルのレプリカで有名だったはずです。ですが、その代わりにと言っては何ですが、こうした「キスの像」ができたり、こうした記事が『ニューヨーク・タイムス』に出たりするというのは、漠然とですが、アメリカにおける日本の経済的社会的プレゼンス低下、そして政権与党による積極的な日米交流が滞っている現実、を感じざるを得ません。

(5)解放感ゆえの「キス」というのは悪いことではありませんし、そうした雰囲気が戦後のベビーブームになっていったのであるとすれば、同じような人口爆発は日本でも発生しています。そうは言っても、やはり「戦勝の歓喜」が「男女のキス」で表現される、しかも正式発表前にフライング気味に盛り上がっていたというニュースは、敗戦の側から見れば屈辱です。考えて見れば、戦後日本に綿々と続いている「一国平和主義」的なセンチメントというのは、この種の屈辱を二度と味わいたくないという、実に本能的な感情論だったのかもしれません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

再送-EQT、日本の不動産部門責任者にKJRM幹部

ビジネス

独プラント・設備受注、2月は前年比+8% 予想外の

ビジネス

イオン、米国産と国産のブレンド米を販売へ 10日ご

ワールド

中国、EU産ブランデーの反ダンピング調査を再延長
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story