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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
若返り続くアメリカのオーケストラ指揮者事情
スポーツで言えば、野球やサッカーの監督人事が大きな話題になるように、クラシック音楽の世界では名門オーケストラの指揮者の人事というのは、色々な意味でその街の話題になります。何と言っても指揮者が長年にわたってその街のオーケストラを率いて高い評価を得るようになると、市長やスポーツのスター選手と同じようにその街の「顔」となるからです。特に指揮者の場合は、15年とか20年という「長期政権」になる場合もあって、例えばボストン交響楽団の音楽監督を29年も務めた小澤征爾や、ニューヨークフィルとの関係を生涯続けたレナード・バーンスタインなどはそうでした。日本の場合でも、岩城宏之氏の創設した「オーケストラ・アンサンブル・金沢」を、岩城氏亡き後にしっかり受け継いだ井上道義現音楽監督などは、金沢の街の人々には「井上マエストロ」と呼ばれて敬愛されています。
ところで、オーケストラの指揮者といっても、その責任範囲というのは色々バリエーションがあります。中でも、アメリカの場合は、オーケストラを代表する指揮者のことを音楽監督(ミュージック・ディレクター)と呼んで幅広い権限を与えるのが通例です。そもそもアメリカのオーケストラというのは、秋から翌年の初夏にかけての「楽季(シーズン)」にはほぼ毎週3回公演を行い、週毎に演目を変えて行くというハードスケジュールになっています。勿論、1つの楽季の全ての演目を音楽監督が指揮するというのはムリなので、様々な客演指揮者を迎えるのですが、アメリカの音楽監督の場合はだいたい10週から12週は担当することになっているようです。
それだけではありません。ヨーロッパや日本との大きな違いは、アメリカの音楽監督は「オーケストラのトップセールス」として、その街の財界や社交界にまんべんなく顔を出して、楽団運営の基本となる寄付金を集めて来ないといけないのです。どうして、アメリカの音楽監督だけがそうした「面倒な仕事」をしなくてはならないのかというと、アメリカでは音楽や演劇などの文化活動への公的助成が少ないことから、オーケストラは入場料と寄付金だけで運営しなくてはならないからです。ちなみに、小澤征爾という人が、どうしてボストン交響楽団であれほど敬愛されたのかというと、この「寄付金集め」をイヤな顔1つしないでコツコツやって歩いたということも大きいようです。
そんな事情を抱えたアメリカの名門オーケストラでは、ここのところ、若手の音楽監督が続々誕生しています。まず、ニューヨーク・フィルハーモニックでは、2009年にベテランのロリン・マゼールが引退した後任としてアラン・ギルバートが就任しています。ギルバートは、両親が共に(本人も)ニューヨーク・フィルの奏者で、中でも母親は日本人という日系二世かつ「生粋のNYっ子」として話題を呼びました。昨年秋の就任以来、現代音楽を組み合わせた意欲的なプログラムと、弦楽の音色を明るく変える指導でなかなか好調な滑り出しを見せています。一方で、西海岸の名門、ロサンゼルス・フィルは、世界的人気を誇るベネズエラのスター指揮者、29歳のグスタボ・デュダメルを音楽監督に迎えて、こちらも大変な盛り上がりのようです。
その一方で、東海岸の名門オーケストラのフィラデルフィア管弦楽団は、2008年にドイツ人の大物指揮者クリストフ・エッシェンバッハが音楽監督を辞任して以来、ゴタゴタが続いてきました。このエッシェンバッハという人は、確かに大物なのですが、一部の楽団員やフィラデルフィアの地元新聞と確執があり「練習時間が長すぎて楽員が離反」という記事を書かれたことに激怒、また同じ新聞に「突然テンポを変える(確かにこの人のスタイルではあります)解釈が不自然」などと批判もされ、通常は2期10年の政権が期待される中で、1期で辞めてしまったのです。
楽団としては指揮者が「空席」という事態は避けたいので、最終的にはNHK交響楽団の指揮などで日本でもおなじみのシャルル・デュトワを引っぱって来たのですが、このデュトワ氏は色々と条件を出したのでした。それは「寄付集めなどの責任がついてくる音楽監督はやらない」というのと、「自分はあくまで暫定」という扱いでした。そこでオーケストラは「首席指揮者兼芸術アドバイザー」という妙な称号を作ってこの巨匠を迎えたのです。それが2008年9月で、ちょうどリーマン・ショックが襲ったのと同じタイミングでした。
このオーケストラには、リーマン・ショックの影響はかなり厳しいものとなりました。というのは、オーケストラ全体のメイン・スポンサーだったスイスの銀行、UBSが一気に破綻して公的資金が注入される中、「外国のオーケストラに寄付などできない」状況に追い込まれてしまったのです。デュトワとフィラデルフィア管弦楽団はなかなか良い演奏を続けていましたが、忙しいデュトワはそんなに多くの演目は振れない中、客演指揮者がコロコロ替わる落ち着かない雰囲気がありました。
そのフィラデルフィア管弦楽団は、先月遂に懸案の音楽監督人事を発表しました。デュトワの後任、しかも本格的な音楽監督として選ばれたのは、35歳、カナダ人の若手指揮者のヤニック・ネゼ・セギンでした。突然の発表だったのですが、私には深く納得がいきました。というのは、このネゼ・セギンがフィラデルフィア管弦楽団を初めて指揮した2008年12月の公演を偶然聞いていたからです。演目はラフマニノフの2番の協奏曲(ピアノはアンドレ・ワッツ)と、「悲愴」というニックネームで知られるチャイコフスキーの6番の交響曲でした。
協奏曲も素晴らしいアンサンブルだったのですが、この晩の白眉は「悲愴」でした。演奏の前にネゼ・セギンはわざわざマイクを取って「この曲はチャイコフスキーの死の直前に書かれたいわば遺書なので、3楽章が終わった後の4楽章が大事なんです。ですから静かに4楽章に行かせていただきたいんですね」という「指導」を聴衆に対してやったのです。この曲は3楽章が壮麗なマーチになっていて、「ジャーン」と終わると「これで終わり」と勘違いして拍手が出る危険があるのですが、それを防止するという作戦、私にはそう思えました。33歳の指揮者にしては、なかなか良い度胸という印象でした。
平均年齢の高い聴衆は、しかしキチンと「指導」を守って3楽章の「ジャーン」をやり過ごしたのですが、その後の4楽章の素晴らしかったこと。弦楽を中心とした、正に「悲愴」なエレジー(悲歌)を、思い切りテンポを落とす代わりに歌い方の濃さを上げて行く、そこまでは演出としては良くあるのですが、ネゼ・セギンとフィラデルフィア管弦楽団は休止の間合いの呼吸感も見事で、消え入るように音楽が終わるとキメルセンターのホールはシーンと静まりかえったのでした。今から思えば、あの瞬間にこの街と、この楽団と、この若い指揮者の間に「ケミストリ(化学変化にも似た良い関係性)」が生まれたのだと思います。ネゼ・セギンは、その後、ニューヨークのメトロポリタン・オペラにも『カルメン』を振ってデビューするなど、着実に実績を重ね、遂に名門の「シェフ」の座を射止めたのでした。
UBSに逃げられたフィラデルフィアだけでなく、アメリカの各オーケストラは今回の不況の影響を相当に受けていると聞きます。そんな中で、それぞれの楽団が思い切って若い指揮者を音楽監督に迎えて、人心の一新を図っているのは興味深い動きです。それぞれに、時代状況の荒波の中で組織としてどう生き残っていくか、そのサバイバルのノウハウも伝統になっているのかもしれません。
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