コラム

荒れ模様の五月、世界の方向性はどこへ?

2010年05月10日(月)10時57分

 オバマ政権が医療保険改革法案を成立させる一方で、景気は様々な指標が好転しつつあり、夏へ向けてアメリカ社会には明るさが戻ってくる、そんな4月の楽観主義は、5月の声とともに吹っ飛びました。「テロ対策」の問題、「環境」の問題、「景気、雇用、金融」の問題、そのすべてに関して問題が噴出し、社会の落ち着きが失われてしまったからです。

 まず5月1日の土曜日、混雑するマンハッタンの盛り場、タイムズ・スクエアでの爆破未遂事件は、再びニューヨークの街を「ポスト9・11の世界」に引き戻してしまいました。容疑者は、煙を出し始めていたSUVを乗り捨てて逃亡、JFK空港からドバイ経由でパキスタンに逃げようとしたところを間一髪で逮捕されています。SUVの中には簡単な発火装置と、プロパンガスのボンベ、ガソリン缶などが置かれており、やや素人臭い仕掛けで殺傷力はそれほどの規模ではないと思われますが、立派な爆弾テロ未遂事件です。

 容疑者のファイサル・シャハドという男は、パキスタン出身で米国の大学に学び、米国人と結婚して帰化もしています。MBAも取っていて、金融とITの仕事に関わっていたようなのですが、折からの不況に巻き込まれて経済的に困窮してから、パキスタンと米国を往復するようになったようです。しかしながら、報道されている情報から推察する限り、このシャハドのストーリーは、様々な「国内テロ」の容疑者像と重なってきます。挫折を契機に「反米」に傾斜したというのは、テキサス州での陸軍基地乱射事件の容疑者に似ていますし、父親が空軍将校という地元の名士だったことは、デトロイト着便爆破未遂の犯人(父親がナイジェリアの銀行家)という事情に似ています。

 何らかの事情で父親なり、出身国のパキスタンへのネガティブな感情から一旦はアメリカに引き寄せられたものの、アメリカでの挫折を契機に、アイデンティティーの危機を経験する中で「故郷との和解」と「アメリカへの敵意」という心理のドラマを経験した、そんな矮小な個人的ストーリーがそこには感じられます。気になるのは、反米テロという行為そのものが、パキスタンのエスタブリッシュメントである父の名誉を傷つける意図があったのか、それとも逆に父を含む一族の名誉に連なる意図であったのかという点です。いずれにしても、アメリカの右派の言うような「危険な組織の計画的攻撃」ではなく、文学的とも言える個人の醜悪な「劇」に分類すべき事件です。もっと言えば、米英とパキスタン・アフガンの長い病んだ歴史の反映とも言えます。

 ですが、アメリカは本当にピリピリしています。その週の後半には、忘れ物の保冷ボックスが爆弾ではないかという恐怖から、一帯を立入禁止にするというような事件が何件か起きています。ただ、1つ指摘して置きたいのは、こうした「テロへの敏感な反応」というのは、「オバマの時代なのに、ブッシュ時代の殺気が残っている」という理解よりも、「オバマが大統領をやっているからこそ、本土で大変なテロが起きては大変」というニュアンスがあるということです。治安関係者も、一般市民も淡々として保安検査や不審物処理に対応している背景には、そうした心理があるのです。

 一方で、メキシコ湾での海底油田の採掘施設爆発事故による原油漏出の問題は、日々が問題との新しい対決という感じになっています。先週には、漏出している海底に巨大な「フタ」をかぶせ、更に漏出原油を海上のタンカーに誘導するという作戦が行われました。ですが、週末の沿岸警備隊+BP社の会見によれば「まだ完全に失敗と断ずるには早いが、深度1500メートルの海底で、前代未聞の作戦を遂行するのは思ったより更に困難」ということですから、難しいようです。

 更に経済の方も妙な雰囲気になってきました。週の半ばからは、IMF+EUの救済パッケージにある増税と人件費抑制に反対するギリシャの暴動を受けて、株式市場は激しい乱高下を繰り返していたのですが、6日の木曜日にはプログラム取引の暴走などを受けて、わずか20分の間にダウが600ドル下げたと思うと、すぐに戻すという前代未聞の事件も起きています。雇用の数字は改善のペースが相変わらず遅いですし、消費も思ったほど良い数字が出ない中、市場は疑心暗鬼が続いています。

 では、こうした社会の不安定はアメリカの政局にはどんな影響を与えるのでしょうか? 短期的にはオバマ政権は再び苦しい立場に追い込まれるでしょう。テロ対策が甘い、原油漏出への初動が遅かった、雇用がダメで景気も先行きが不透明・・・そうした一連の事態について、全てを大統領の責任にするのは簡単だからです。ですが、中期的にはオバマという実務家はこうした危機、とりわけ錯綜し同時進行する複数の危機の処理能力はあると思います。ですから、何だかんだ言って政治的には生き延びるでしょう。

 問題なのはむしろ、共和党の方です。被害者意識から来る感情論以外に見るべきところのない「ティーパーティー」グループのイデオロギーでは、こうした危機には対応出来ない中、迷走するのか、ひたすらオバマ叩きに走るのか、見当がつきません。大変な時代だから、共和党として冷静な実務家をリーダーに据えて、主要な選挙区の候補も同じように実務的な中道主義者を選んで行くことができれば、こうした危機をチャンスに変えることもできるでしょう。ですが、現時点ではそんな気配は見えていません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 3
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 6
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 7
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 8
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 9
    注目を集めた「ロサンゼルス山火事」映像...空に広が…
  • 10
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story