コラム

羽田ハブ構想の「市場」はどこか?

2009年11月04日(水)12時22分

 羽田ハブ構想も、JALの再生もまだまだ紆余曲折がありそうです。ところで、仮に羽田のハブ機能が動き始めて、多くの国際線が羽田で乗り継ぎ可能になったとして、その際にJALが主要な国際路線をまだ持っていたとして、その主要な乗客はどんな人々になるのでしょうか? 今までの議論では、例えば新潟からニューヨークへ行くのに国内線で羽田、そこからリムジンバスもしくは「京急+都営+京成」で成田などということをやっていると大変なので、新潟からアシアナ便で仁川に、そこからアシアナのNY便で行ってしまう、そうした乗客を取り戻せという話が多かったように思います。

 ちなみに、JALの再生は「バラバラに切り売り」するのではなく、1社で何らかの存在感を維持していくという前提でお話しするとしたら国際線の路線網維持と収益改善が絶対に必要です。では、羽田がハブになり、国内線と国際線の乗り継ぎが便利になったら、全ては上手くいくのでしょうか? 私はダメだと思います。まずもって、日本における海外旅行の市場が縮小したこと、そして日本勤務のビジネスパーソンや官僚が、単価の高いビジネスクラスやファーストクラスで海外にどんどん出張するという可能性も低いと思うからです。

 私個人としては、この現実にはさびしさを感じます。何よりも日本に勤務して民間セクターや公共セクターの仕事をしている人、そしてアカデミックな研究や教育をしている人も、国際経験の場数がそのまま人材育成につながるからと思うからです。日本語という宇宙服を着て外界との呼吸を遮断するパックツアーは国際化への寄与はほとんどゼロですが、留学や転職、家族縁組を通じた国際交流は日本人にとって大事だと思うからです。日本人はやはり海外へ行くべきです。ですが、JAL並びに羽田の将来を考えるには、そうした「過去のよき時代」を前提にするのは危険です。

 私は羽田をハブにすること、日本国内に国際線の路線網を持つ航空会社が2社存在してサービスを競い合うということは大事だし、成功させなくてはならないと思います。そうは言っても、その成功のためには日本人が主要な乗客になるという前提で考えることはできません。例えば、シカゴ=広州、ニューヨーク=シンガポール、というような路線に関して、「羽田乗り継ぎの日本キャリア便」が国際競争力を持ち、ライバルからビジネス客のシェアを奪うこと、これが羽田ハブの成功とJALの再生には必須だと思います。つまり「日本のハブ」ではなく「アジアのハブ」にするのです。

 例えば、シカゴ=広州便ですが、現在のところ直行便はありません。したがって、どこかで乗り継ぐことになるのですが、シカゴ=成田はJAL、ANA、アメリカン、ユナイテッドの4社、成田=広州はJAL、ANA、中国南方、ノースウェスト(以遠権による就航)の4社です。その他にアシアナと大韓航空が仁川乗り継ぎのサービスを行っています。その他に米系キャリアで上海まで行って、国内線への乗り継ぎもあるでしょう。いずれにしても、直行便がないので色々な組み合わせがあるわけです。

 さて「シカゴ=羽田ハブ=広州便」という商品のマーケットはどこかというと、乗り継ぎ地である日本は全く関係がありません。あくまでシカゴと広州が市場になります。そこで、競合他社、とりわけ現時点ではアシアナと大韓航空をどう圧倒するかという話になります。企業顧客を狙った営業活動、旅行代理店との協力体制、それも人海戦術ではなくウェブの旅行代理店などとの知恵を利かせたキメ細かな連携、そして地上職員や手荷物や貨物も含めたオペレーションの精度なども全てシカゴと広州での「戦い」になるのです。

 ニューヨーク=シンガポール線の場合は事情が少し違います。というのは、ニューヨークから電車で30分(ヘリで10分)のニューアーク空港からシンガポールのチャンギ空港までSQ(シンガポール航空)が直行便を飛ばしているからです。この直行便は現在の大型旅客機の航続距離としては限界スレスレのため、エアバス340-500という飛行機を全席ビジネスクラス(定員100名)にして積載重量を抑えた特殊なフライトになっています。問題は所要時間が18時間超という長さで、乗客にはかなりの負担です。そこで、普通は不便に感じる乗り継ぎの方が、一旦地上に降りて休憩できるメリットになると感じる乗客も多いのです。

 実際にSQの場合、提携航空会社を使ってロンドン乗り継ぎやフランクフルト乗り継ぎ(東回りで行く)の販売もしているのですが、この乗り継ぎ便マーケットには日本のキャリアが参入する余地が十分にあります。実際に、今現在もJALのチャンギ夕方便は成田でNYからの直行便との乗り継ぎが可能になっていますし、他でもないSQがANAの運行するNY=成田便の共同運行に参加して、自社のチャンギ夕方便に接続させています。では、どうしてこのNY=チャンギ便が大事なのかというと、何と言っても超長距離でビジネス客がコンスタントに存在する路線だからです。また相手が世界の人気航空会社ランキングで常にトップクラスのSQであり、彼等と競い合うことでサービスの向上を図れるという点もあります。勿論、市場はNYとシンガポールになります。

 羽田ハブを成功させるには、ビジネス客だけではダメです。一般の移動客、観光、留学のマーケットでも「数」を取って行かねばなりません。その場合は、何と言っても主要な市場は中国です。先ほどの広州=シカゴという路線だけでなく、中国の主要な都市と羽田を結んで、そこから北米や欧州に接続する形で座席をさばいていく、そのマーケティング戦略も必要でしょう。場合によっては、羽田と中国各都市の便は距離も短いですからサービスを省略して、価格で中韓のキャリアと激しく競争する必要も出てくると思います。

 とにかく、日本人客だけを当てにしたビジネスでは限界があります。例えば、一時的に「成田=ムンバイ」という区間に全席ビジネスの豪華フライトを日系キャリアが飛ばしていたことがありました。機内ではストレスが解消できるようにと、思い切り日本的なサービスを売り物にしていたのですが、こうした商品はもはや成立しないでしょう。インドに行く日本人客だけを当てにしたビジネスではダメで、逆にインドのビジネスマンを取り込んで行かなくてはいけないからです。

 ところで、航空会社のビジネスモデルは「固定費」を前提としたものです。ある区間を就航させれば、両端の空港でのサービス、整備、営業の要員配置が必要ですし、機材と乗務員も必要になります。燃料は風向や積載重量で変動しますが、最低のものは固定費として必要です。ですから、就航させるからには販売面で勝ち抜いて行かなくてはなりません。今現在のJALは、日本人以外の乗客に対する販売活動にようやく腰を入れ始めているようですが、これをもっと強力に展開できることが再生の条件になると思います。

 固定費の戦いというと、固定費はマイナスと捉えられるかもしれませんが、思い切った投資も必要でしょう。例えば、中国やアジアの各都市から羽田乗り継ぎでニューヨークという座席、逆のニューヨークからアジアの各都市という座席を相当数販売できる力がついたとしたら、羽田=ニューヨークは相当の座席数が必要になります。そこで、エアバスの380やボーイングの747-8のような超大型機を入れて思い切ったコストダウンを図るのか、ボーイング787やエアバス350のような中型機にして、その代わり深夜枠まで使って1日3便4便のフレキシブルな体制にするのか、しっかりリスクを取った経営判断が必要になります。

 飛行機には遅延や欠航という例外事態は避けられません。ですから、大量の乗り継ぎ客をさばくハブ空港にはそうした事態に備えて周辺にキチンとしたホテル施設を整備することも必要になります。それ以前の問題として、羽田空港の中、そして機内サービスから各地の地上サービスに至るまで、現在とは比較にならないような国際化が求められます。少なくとも「アテンション・プリーズ」などという不自然なアナウンスを人工音声で流したり、機内アナウンスも「搭乗の15分遅れぐらいでアポロジャイズ(謝罪)する」といった不思議な英語ではダメです。

 ハブと言っても、それでは完全に羽田素通りで、日本経済へのメリットはあまりないではないか・・・そんな異論も聞こえてきそうです。ですが、今言われているような「日本の地方空港から仁川経由の海外旅行客」を取り戻すぐらいでは、JALは再建できないと思います。「羽田乗り継ぎ便」が国際市場でアジアとその他の地域を結ぶサービス競争に勝って、JALとANAの経営基盤がしっかり再生する、これがまず大前提です。

 外国人の乗客が素通りするだけなら成田でいいじゃないか、そんな声も聞こえてきそうですが、何といっても羽田の24時間体制は「アジアのハブ化」には必要です。日本人だけでなく、外国人の地上職員やクルーを含めた人員確保ということでも羽田の方が効率的です。勿論、日本の地方路線との乗り継ぎという今言われている利便性も無視できません。もっと広い観点で見れば、アジアへの出張の「ついで」に東京に気軽に立ち寄れて、そこで最新の情報収集ができたり、金融や法務のサービスはアジアの現地でなく東京で受けられるようにする、つまり情報、法務、金融といった高度に知的な領域に関して「アジアのビジネスのハブ」の位置も確保する、そのためにも成田ではなく羽田で良いと思います。とにかく、羽田は「日本のハブ」と同時に「アジアのハブ」としてフル稼働させなくてはダメです。羽田ハブの市場は「世界」なのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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