コラム

ラッパー「カニエ・ウェスト」ご乱行の意外な展開

2009年09月18日(金)13時22分

 MTVの「ミュージック・ビデオ・アワード」といえば、グラミーほどの格式はないものの、著名なミュージシャンが一同に会して、華やかな受賞セレモニーを繰り広げることで有名です。今年のその授賞式では、しかしながら、とんだハプニングが起きてしまいました。最優秀女性歌手ビデオ賞を獲得したカントリーの若手アイドル(実力もまあまあですが)歌手、タイラー・スイフトがスピーチを行っている最中に、ラッパーのカニエ・ウエストが「乱入」してきたのです。

 ウエストは、スイフトからマイクを奪うと「でも、ビヨンセのビデオは最高だぜ」とやったのです。ビヨンセはその後、年間最優秀ビデオ賞を受賞することになるのですが、この「最優秀女性ビデオ賞」もスイフトではなく本来はビヨンセが取るはず、そんなニュアンスの「暴言」でした。会場は大騒ぎになりました。ただ、さすがアドリブに強いアメリカのエンタメ業界です。授賞式では、その年間最優秀を表彰された際に、「渦中の」ビヨンセは「被害者」のスイフトをしっかり激励して、式としては格好がついています。

 この「事件」が13日の日曜日で、翌日の月曜になると朝からTVはこの話題で大騒ぎ、ウエストという人は、まあ従来から「お騒がせタレント」ではあったのですが、この日の日中までは「極悪人扱い」でした。ところが、この晩に風向きが変わりました。この14日の月曜から、NBCネットワークが力を入れて企画した新番組が始まったのです。これは平日の毎晩10時のゴールデンタイムに人気コメディアンの「ジェイ・レノ」がホストを務める『ジェイ・レノ・ショー』で、深夜枠で活躍していたレノがゴールデンタイムに打って出るというので話題を呼んでいたのでした。

 偶然にも、その第1回の放送のゲストにカニエ・ウエストが入っていたのです。ウエストは、レノとのトークの中で「事件」について謝罪したのですが、その後にレノがウエストの亡くなった母親の話題に話を振ったところ、ウエストは涙を浮かべて言葉を詰まらせてしまいました。すると、会場は沈黙してしまったのです。翌日の朝になると、TV各局はこのシーンを繰り返し放映し、ウエストの「好感度」は一夜にして(完全とは言えませんが)元に戻ったのです。

 中には、この「亡き母への涙」というシーンのことを「ヒュー・グラント効果」と言う人もいます。これは英国の人気俳優ヒュー・グラントが1995年にアメリカで公然わいせつ罪で逮捕されるというスキャンダルを起こした際に、迅速で誠実な謝罪を行ったためにダメージコントロールに成功した、その例に似ているという意味なのですが、確かに同じようなスピード感のあるリカバリーでした。それにしても、大ヒンシュクを起こした事件の翌日に、超大型新番組の第1回ゲストに呼ばれていて名誉回復が出来たのですから、なかなかスリリングな話ではあります。またレノの機転も、さすが超一流の司会者という評価を高めています。スイフトも、女性向けのトークショー「ザ・ビュー」などで「相手を恨まない」という発言をして、点数を稼いでいるようです。

 さて、この話題には更に続きがありました。他でもないオバマ大統領が、この事件についてウエストのことを「ジャッカス(お馬鹿さん)」と言っていたというのです。この「ジャッカス」というのは、かなり激しい言葉であり(とはいっても、同名の映画をゲラゲラ笑って見ている30代以下ではニュアンスのインフレが起きている感じもあるのですが)、とても「合衆国大統領」が口にするべきではないとされていますから大変です。

 その経緯がまた「いかにも」という感じで、オバマは、気心しれたCNBCのジャーナリストであるジョン・ハーウッドを相手にスイフトのことを持ち上げて、ウエストを「お馬鹿さん」呼ばわりしていたのだそうですが、この「ネタ」については、それを立ち聞きしたABCテレビの記者が「ツイッター」でバラまいてしまったのです。最終的には、ABCがホワイトハウスに謝罪して、以降は社内でのツイッターは禁止ということになったらしいのですが、何ともお騒がせなニュースに他なりません。ちなみに、この事件が16日の水曜日の朝には大きく取り上げられており、NBCでもCNNでも鳩山内閣発足のニュースはどこかへ吹っ飛んでしまっていました。

 この事件にはいくつかの教訓があります。まず、エンタメにしても、政治にしてもイメージのアップダウンはほぼ一日刻みで起きる、そのスピード感の恐ろしさです。ダメージコントロールも迅速が要求されますし、そもそも突発事態へのアドリブな対応力も、PRには欠かせない、しかも従来よりもっとスピード感が必要ということです。ツイッターに関しては、公私の重なるゾーンでのコミュニケーション・ツールとして改めて問題が浮き彫りになりました。つまり「同意と共感に閉じこもることで公的空間との摩擦を起こす」ということなのですが、逆にまだまだ可能性を秘めているとも言えます。

 こうした点に加えて、最大の教訓は「人種問題」がここでは深刻な要素にならなかったということです。黒人のウエストと、白人のスイフトのトラブルですが、白人のレノがウェストを救い、黒人のオバマは(オフレコとはいえ)ウェストを侮蔑しつつ白人のスイフトを持ち上げていた・・・その全てが自然であり、そこには「人種のわだかまり」は本当に薄れていました。そうした世代がアメリカを動かしつつあり、オバマはやはりその象徴なのです。医療保険改革問題では依然として厳しい立場のオバマですが、反対派が人種差別的言動を続け、民主党の長老カーター元大統領がその「反対派の人種差別主義」を糾弾する中、オバマ本人は実にクールな態度を取り続けています。このことは、何と言っても現在のアメリカに安心感を与えていると思うのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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