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【写真特集】静かに朽ちゆく出羽島で生きる
Tebajima
Photographs by Hajime Kimura
⽥中幸寿 出羽島の部落会長を40年以上務める集落の長で、牟岐町漁業組合の組合長。島に初めて水道と電気が通った時の感動は忘れられない。人口減少の始まりは昭和40年前後と回想する。田中の世代が分家をする時に、狭い島には土地が足りず、人が流出した。再興のためのイベントや移住促進も行った。移住者を詮索しないよう努めてはいるが、小さな集落では「言いたくないことも言わないかんことがある」。漁業も努力だけでは立ち行かず、観光業も簡単ではない
(右)マグロ漁師をしていた頃の坂本栄三の姿。娘の留美子は出羽島育ちで、実家の重伝建指定を機に、22年に島に戻った
(左)島民が荷物の運搬手段として使う「ネコ車」。島が小さく車が通る道路がないため自動車やバイクはない
仲⼭丈⼆ 島に一時的に住んでいる大学生。出羽島からオンラインで大学の授業を受けている。インドネシアのバリ島生まれ。父が夏を過ごすための家を出羽島に購入し、子供の頃は定期的にここを訪れていた。 以前は朝4時頃になると多くの船が一斉にエンジンをかけて出航し、目覚まし時計代わりだった。2018年頃、12年ぶりに島に来た時には、様変わりしてとても静かになっていた。 漁が仕事だというのは理解しているが、楽しんでいるように見え、漁師に憧れる
原⽥素⼦ 出羽生まれの出羽育ちで、自らを「出羽の生え抜き」と呼ぶ。出羽漁協・夫人部の会長をしていた。中学校までは出羽島で過ごし、島外の高校で洋裁を習った。水道の開通前は、住民が井戸までバケツで水をくみに行き、運ぶうちに水量は半分になったという。 島のテングサの品質は高く、値段が高かったので、よく採集していたが、3年ほど前から全く採れなくなり、他の海藻も生えないのでアワビなども姿を消した。健康維持のための散歩が日課
新潟 潔 高校卒業後、神戸の銀行に勤めたが、当時漁師をしていた父親の体調が悪くなり、手伝いのために島に戻った。その後は漁業組合に勤めた。島の維持には、若い人に来てもらって力を借りないと、地域の活動ができないと言う。力仕事も困難。ここでは、72歳の自分が10番目くらいに若い。自宅が重伝建指定を受け、建物の修繕費の9割を国や自治体が負担するが、それは外観だけで内部は自腹。子供が住むなら修繕の価値はあるが、そうではないので難しい
(右)島には空き家が目立つ。朽ちた住居の撤去にも費用がかかるため、大部分はそのままになっている (左)船着き場と神社の間にある松。神事の際にはこの木の周辺に大漁旗が飾られる
写真:木村肇
写真家。1982年千葉県生まれ。芝浦工業大学工学部建築学科卒業。人間の記憶、歴史の痕跡を主なテーマにした作品を制作し、国内外の主要メディアやギャラリー などで発表。近著に『Correspondence』(仏the (M) éditions、22年)、「嘘の家族」(Three Books、24年)など
2024年11月26日号(11月19日発売)は「超解説 トランプ2.0」特集。電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること。[PLUS]驚きの閣僚リスト/分野別米投資ガイド
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