コラム

理不尽なイラン社会で苦闘する女性『白い牛のバラッド』、イランでは上映中止に

2022年02月17日(木)16時43分

冤罪で夫を失ったイラン女性の苦闘......監督が主演も兼ねた『白い牛のバラッド』

<イランで3回しか上映されず、ベルリン国際映画祭金熊賞&観客賞にノミネートされた『白い牛のバラッド』>

イラン映画界には、厳しい検閲があるだけでなく、映画人が制裁を科されることもある。ベタシュ・サナイハとマリヤム・モガッダムが共同監督し、ベルリン国際映画祭金熊賞&観客賞にノミネートされた『白い牛のバラッド』も、そうした制約と無関係ではない。

以前から女優として活動していたモガッダムは、政府から映画制作を禁じられているジャファル・パナヒがカンボジア・パルトヴィと共同監督した『閉ざされたカーテン』(13)にも出演。ベルリン国際映画祭でこの作品が銀熊賞を受賞したときには、ゲストとして映画祭に出席していたが、その後、彼女に3年間の出国禁止の処分が下された。その時点では仕事も許されなかったので、彼女は家にこもり、サナイハとともに脚本をたくさん書き、そこに本作の脚本も含まれていた。

ふたりは2015年に、共同脚本で、サナイハが監督、モガッダムが出演した彼らの長編デビュー作『Risk of Acid Rain(英題)』を発表しているが、本作の脚本はそれ以前に完成していたことになる。しかし、撮影許可が下りるまでに3年近くかかり、映画は完成したものの検閲による多くの削除を彼らが受け入れなかったため、イランでは正式な上映許可が下りず、3回しか上映されていないという。

死刑から1年、別の人物が真犯人だった

その物語は、殺人罪で死刑を宣告された主人公ミナの夫の刑が執行されるところから始まる。それから1年、テヘランの牛乳工場で働きながら耳の聞こえない幼い娘ビタを育てるミナは、裁判所から信じがたい事実を告げられる。夫が裁かれた事件の証人から新たな告発があり、再審の結果、別の証人が真犯人であることが判明したというのだ。

賠償金が支払われると聞いても納得できないミナは、担当判事アミニに対して謝罪を求めようとするが、門前払いされてしまう。理不尽な現実に打ちのめされるミナに救いの手を差し伸べたのは、夫の旧友と称する中年男性レザだった。やがてミナとビタ、レザの3人は家族のような関係を育んでいくが、レザはある重大な秘密を抱えていた。

サナイハとモガッダムのスタイルについては、監督のクレジットは単独ながら彼らのデビュー作といえる『Risk of Acid Rain』を振り返っておくと、人物に対する深い洞察や象徴的な表現がより明確になるだろう。

主人公は、ずっと独身のままで勤めていたたばこ会社を定年になり、同居していた母親も亡くなり、地方で孤独な生活を送る60歳のマヌーチャー。そんな彼は、30年も会っていない唯一の友人を探すためにテヘランに向かう。だがなかなか手がかりをつかめず、安ホテルに宿泊し、そこで出会った男女との間に友情が芽生える。

ひとりは、ホテルのクラークをしているカーベエ。彼は陽気に見えるが、ネットやマリファナで現実逃避し、いずれは火星に移住するつもりでいる。もうひとりは彼の友人である女性マソー(モガッダムが演じている)。彼女は同居する祖母の面倒を見ていたが、パニック障害で入院し、病院を逃げ出し、行くあてもないためホテルに居ついている。

彼らとマヌーチャーを結びつけるのは、女性が抱える問題だ。マソーはひとりでは退院の手続きをすることもできないし、些細なことで警察に連行されてしまう。マヌーチャーはカーベエに頼まれて、マソーのおじを装って彼女を警察から引き取り、退院の手続きにも立ち会う。そんなことから彼らは親しくなっていく。

孤独なマヌーチャーがどんな人間なのかは想像に委ねられているが、同性愛者と解釈することもできる。いずれにしても、サナイハとモガッダムは、彼の内面の変化を間接的な表現で巧みに描き出している。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国副首相が米財務長官と会談、対中関税に懸念 対話

ビジネス

アングル:債券市場に安心感、QT減速観測と財務長官

ビジネス

米中古住宅販売、1月は4.9%減の408万戸 4カ

ワールド

米・ウクライナ、鉱物協定巡り協議継続か 米高官は署
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story