コラム

ヒッチコック狂の「完全犯罪」と物議を醸した未解決事件を映画化『私は確信する』

2021年02月11日(木)11時00分

通話記録という異なる角度からテーマを掘り下げていく

プロローグではその一審の法廷から街の風景へと映像が切り替わり、一審の無罪を伝えるニュースが流れ出す。そこにさり気なく挿入される「陪審員は有罪だと確信していたはずです」というコメントは検察側のものと思われる。さらに、裁判がまだ終わりではなく、検事が控訴し、二審が開かれることを伝えるニュースがつづく。

背景が街の風景なので、ニュースを聞いているのは住人たちだと思えてくるが、最後に厳しい表情で遠くを見つめ、聞き耳をたてるノラの姿が映し出される。そして、プロローグを締めくくるように「UNE INTIME CONVICTION」というタイトルが浮かび上がる。

本作は実話に基づき、ジャックの傍には不当な裁判と戦いつづけた女性がいたということだが、ノラの人物像はフィクションであり、ランボー監督の独自の視点が反映されている。だから本編のなかで彼女の複雑な立場や強迫観念といえるものが徐々に明らかになっていくに従って、プロローグが意味を持ち、ニュースを聞く彼女が何を思っていたのか、想像をかき立てられることになる。

というように書くと不自然に思う人もいるだろう。中心にあるのは裁判であるのに、なぜノラの内面を想像したくなるのか。そこにランボー監督の大胆な発想がよく表れている。彼が陪審員に求められる確信に強い関心を持ち、一審の重要な断片をプロローグに盛り込んだのであれば、二審でも同じ部分を強調したくなるところだろう。だが実際には、二審で陪審員が注目されるのは弁護側の最終弁論のときくらいで、説示も省略され、評議も描かれない。

ではそれで、どのように確信というテーマに迫ることができるのか。ランボー監督は、ノラとデュポン=モレッティ弁護士と通話記録という三角形を土台としてもうひとつの世界を作り、異なる角度からテーマを掘り下げていく。

ノラが分析する通話記録からは、関係者の嘘だけでなく、世論を操作しようとする陰湿な行動が生々しく浮かび上がってくる。それはたとえば、スザンヌの愛人で、ジャックを犯人と決めつけている男の以下のような発言だ。


「これから知人にも電話する。あいつを逃さない。嫌がらせをしてやる。見てろ、あっという間に噂が広まる」「女子学生が話せば大学中に噂が広まる。狭い町だ。山火事のように広がる」

複雑にねじれ落とし穴にはまっていく心理や行動

そうした噂がSNS、テレビ、新聞、雑誌などへと拡散し、ジャックがヒッチコックのファンだったため"ヒッチコック狂の完全犯罪"とセンセーショナルに報じられる。世論は法廷にも浸透していく。

しかしそれ以上に重要なのが、ノラが強迫観念にとらわれていくことだ。彼女とデュポン=モレッティは一心同体というわけではない。ノラには彼に隠していたことがあり、信頼関係が崩れかける。自分を見失いかけているノラには、裁判の弁護における合理的な疑いと真相究明の間に一線を引くことができなくなり、別の確信に呪縛されていく。

そこからプロローグを振り返ると、「陪審員は有罪だと確信していたはずです」という検察側のものと思しきコメントとノラの心理や行動が複雑にねじれ、彼女が落とし穴にはまっていることがわかるだろう。ランボー監督は、陪審員に注目するのではなく、ノラとデュポン=モレッティの緊迫した関係をもうひとつの法廷に見立てることによって、確信の危険性を実に鮮やかに描き出している。

『私は確信する』
2月12日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
©Delante Productions - Photo Séverine BRIGEOT

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

相互関税は即時発効、トランプ氏が2日発表後=ホワイ

ワールド

バンス氏、「融和」示すイタリア訪問を計画 2月下旬

ワールド

米・エジプト首脳が電話会談、ガザ問題など協議

ワールド

米、中国軍事演習を批判 台湾海峡の一方的な現状変更
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story