コラム

誘拐事件を繰り返し裕福な生活をしていた、アルゼンチン家族の闇

2016年08月26日(金)16時20分

軍事政権の二面性が反映された家族

 そんな二面性は軍事政権と無関係ではない。この軍事政権を検証した歴史学者デヴィッド・M・K・シェイニン『Consent of the Damned: Ordinary Argentinians in the Dirty War』のなかに、二面性に関わる分析がある。軍事政権は弾圧を隠蔽し、軍のイデオロギーを大衆文化に反映することで、国民に植えつけていった。軍が強い関心を持ったのはスポーツで、テニス・プレイヤーのギリェルモ・ビラスとF1ドライバーのカルロス・ロイテマンが当時の国家を象徴するアイコンに祭り上げられた。

 なかでも理想的だったのが、ロイテマンだった。軍が喧伝しようとしたのは、性別による役割分担が明確な伝統的な家族の価値や道徳であり、美しい妻とふたりの子供がいて、酒もタバコもやらず、スキャンダルもなく、家族想いの父親だったロイテマンは、理想を体現していた。軍はメディアを利用してそんなイメージを前面に押しだし、その陰で激しい弾圧を行っていた。

 この映画の主人公一家には、そんな軍事政権の二面性が反映されている。ただし、一家は、母親が教師として働いているなど、理想に届いてはいない。だから、アルキメデスは、自分たちよりも裕福な家族に怒りの感情を向ける。

 さらに、この一家は誘拐をめぐって必ずしも一枚岩になっているわけでもない。注目したいのは、長男アレハンドロを誘拐ビジネスに巻き込んだアルキメデスが、標的としてその息子の友人を選ぶことだ。軍事政権の申し子であるこの父親は、息子が二度と後戻りできないように彼の友人を選ぶ。一線を越えてしまえば、自分に絶対服従すると考えているのだ。一方、母親の行動も見逃せない。彼女は、アレハンドロがもはや重圧に耐えられないと見るや、家を離れている次男を呼び戻すよう彼に指示する。この母親は、女性として軍事主義を補完する役割を果たしているといえる。

 パブロ・トラペロ監督はこの映画で、単なる誘拐ビジネスではなく、軍事政権と家族の関係を多面的にとらえ、想像力を刺激するブラック・コメディに仕立て上げている。

《参照文献》
『Consent of the Damned: Ordinary Argentinians in the Dirty War』David M. K. Sheinin(University Press of Florida, 2012)

○『エル・クラン』
監督:パブロ・トラペロ
公開:9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
(C)2014 Capital Intelectual S.A. / MATANZA CINE / EL DESEO

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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