コラム

慰安婦問題、歴史的合意を待ち受ける課題

2015年12月29日(火)23時24分

 また、アジア女性基金事業として元慰安婦の方々に渡された手紙にあった「道義的な責任」との表現から「道義的」をとり、「責任」の範囲をより広く読めるようにするなど、合意に向けた努力のあとが発表文言からうかがえる。
 
 第2のポイントは、資金拠出と事業実施のかたちである。合意には、「韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行う」とある。アジア女性基金がうまくいかなかった経験を踏まえ、「日本政府予算の一括拠出」と「日韓両政府の協力」が強く打ち出されたのが特徴である。

 日本側にはアジア女性基金に関する次の3つの経験が念頭にあったに違いない。(1)民間からの募金による事業であるとしたため、元慰安婦支援団体等が日本政府の責任逃れであると反発した(実際には日本政府は基金運営費など約48億円を拠出)、(2)日本側の一方的措置であるとみられ、当初は肯定的に評価していた韓国政府も消極姿勢に転じた、(3)1965年協定で「完全かつ最終的に解決」との立場との整合性を意識して、日本政府は事業における自身の取り組みを当時あまり広報しなかった(すでに解決済みの問題に政府が関わることは矛盾であると思われた)。

 これら経験を教訓に、(1)日本政府予算10億円、(2)韓国政府が設立する財団に日本政府が資金を拠出し両政府が協力、(3)これらを日韓両大臣が共同発表する、という合意が今回導き出されたのであろう。これにより、新しい事業は日韓両政府の事実上の共同責任によって進められることになる。

国際社会で悪口は言わない

 第3に評価すべきは、「今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える」との合意である。朴槿恵政権発足後、大統領が外遊先で日本政治指導者の歴史認識を繰り返し取り上げたことは日本国内で「告げ口外交」と揶揄され、日本の対韓世論を悪化させる一因となった。一方、韓国内では、ワシトントンDCを主戦場として日本が自らの主張の正当性を訴える巻き返しを図っており、最近では韓国の「中国傾斜」を米国に告げ口しているとの認識が広まりつつあった。この日韓両国の相互非難合戦に辟易している米国関係者は少なくなかった。相互非難がもたらす様々な悪循環を日韓政治指導者が深刻に受け止めて措置をとったことを評価したい。

 それでは、今回の合意によって本当に慰安婦問題は「最終的かつ不可逆的に解決」され、日韓関係は新時代に入ることができるのだろうか。困難な課題が待ち構えていると言わざるを得ない。韓国の元慰安婦46名の平均年齢が89歳であることから、合意は早急に履行されなければならないが、合意履行の努力が肯定的に評価されるには長い時間が必要となるであろう。日韓両政府、国民には最終解決に向けた忍耐強さが求められる。それを前提として次のことが言えよう。

プロフィール

西野純也

慶應義塾大学法学部政治学科教授。
専門は東アジア国際政治、朝鮮半島の政治と外交。慶應義塾大学、同大学院で学び、韓国・延世大学大学院で政治学博士号を取得。在韓日本大使館専門調査員、外務省専門分析員、ハーバード・エンチン研究所研究員、ジョージ・ワシントン大学シグールセンター訪問研究員、ウッドロー・ウィルソンセンターのジャパン・スカラーを歴任。著書に『朝鮮半島と東アジア』(共著、岩波書店)、『戦後アジアの形成と日本』(共著、中央公論新社)、『朝鮮半島の秩序再編』(共編、慶應義塾大学出版会)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

再送-AIが投資家の反応加速、政策伝達への影響不明

ビジネス

米2月総合PMI、1年5カ月ぶり低水準 トランプ政

ワールド

ロシア、ウクライナ復興に凍結資産活用で合意も 和平

ワールド

不法移民3.8万人強制送還、トランプ氏就任から1カ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story