原作の「改変」が見事に成功したドラマ『SHOGUN 将軍』...日本「差別」が露わな小説から変わったこと
A New and Improved “Shogun”
それでも小説『将軍』は、作者や読者の偏見の産物だ。これは多くの点で、日本を舞台にした映画『ロスト・イン・トランスレーション』を思い出させる。少なくとも白人の作り手側は日本文化にどっぷりつかった作品になったと思っているのだが、実は東と西の違いにしか目が行っていない。
改変がいい効果を生んだ
こうした小説を、FXは現代の視聴者向けに巧みにドラマ化してみせた。原作の魅力を損なうことなく改変し、文化的な細かな点をよく分かっている視聴者の鑑賞にも堪え得る作品に仕上げたのだ。
制作者たちはグローバル化を背景に、東西の差異よりも共通点に目を向けた。ブラックソーンは本ドラマにおいても粗野で無教養な男で、原作同様に異文化に対しては反感を抱くが、早い段階で環境に順応し、周囲の人間を人として理解するようになる。
日本人も、西洋中心主義的な物語を紡ぐための単なる小道具ではなくなった。ブラックソーンと同じような動機や欠点や欲求を持つリアルな人間として描かれている。
その結果、小説で主人公だったブラックソーンは鞠子と共に舞台の袖に追いやられ、虎永がメインキャラクターになっている。原作では話の中心だったブラックソーンと鞠子のロマンスも、扱いが小さくなった。
その代わり、虎永の盤上の駒としての2人の存在が強調され、虎永の策略が物語の核となった。壮大な歴史ドラマの体裁を取った政治スリラーのようで、これがいい効果を生んだ。
日本側の視点を中心に持ってくるに当たっては、言語も重要な役割を果たした。原作と違って本作は、大多数を占める日本人キャストが口にする日本語だけでほぼ話が進む。
派手に金をかけたアメリカ制作の作品であるにもかかわらず(撮影地はカナダのバンクーバー)、根本的にこれは日本のドラマだ。原作と比べて歴史的にも芸術的にも精度の高いものになっている。これまで日本を描いた欧米のどんな映画やドラマより上回っていると言っても、過言ではないだろう。
では、原作ファンはどう思うか。原作の大きな構成要素だった人種差別や女性蔑視、排外主義的な部分は消えた。それでも話の筋は同じであり、視点を変えたことで完成度ははるかに上がっている。
このドラマは原作とは全く違った意味で、大胆かつ感動的な物語になっている。これは創造性や正確さを担保しつつ、題材を過去に求めることは可能だと理解したことによって成し遂げられたものだ。これから小説の映像化が行われるに当たって、問題のある素材を扱う際の道筋を、本作は指し示している。