「誰にも負けたくない」...いつも「自然体」なヨシダナギが、笑顔の裏に秘める「信念」
たしかに人よりは躊躇(ちゅうちょ)なく何でも口に入れられるほうだが、そんな私でも、それなりに「あー......」と思っていることはあるのだ。たとえば、ナミビアでカブトムシを出されたときは、実は本当はキツかったのだ(ヤツは苦手なフォルムなのだ)。
とはいえ絶対に食べられないわけではないから、表情に出ていなかったのかもしれない。本当に苦手なものだったら、さすがに顔に出ているはずだ。
ただし、そういう場合でも、なるべく眉間に皺を寄せないようにしている。それは現地の人への敬意もあるし、食べる前から嫌そうな顔をするよりも、食べた後で「わー、気持ち悪いねぇ、これ」と、笑顔でヘラヘラしながら言ったほうが圧倒的に、受け入れてもらいやすいからである。
だから、心の中では「さすがにこれはヤバいな」と思うようなシロモノを出されたときでも、できるだけ顔には出さずに、ニコニコしながら口に運ぶようにしている。
つまり、これは見栄だ。それ以外の何物でもない。「何でも食べるヤツ」として面白がられているのに、「実はそうでもない」というレッテルを貼られたくないだけなのだ。
実は、私はかなりの見栄っ張りだと思う。〝ひとりでアフリカの少数民族に会いに行って、彼らと同じ格好になるために脱いでいる〞という経歴のせいで、なぜだか「自然体」のように思われている気がするのだが、それとは対極にいる女、それがヨシダである。
明らかに自分が不得意とする部分に関しては素直に「できない」と即答するが、もともと「ココだけは他人よりも長(た)けているだろう」と思われている部分については、絶対に弱いところは見せられない。むしろ、見せたくない。なぜなら、人よりもできる部分が限られているからだ。