「アフリカの妖精」に救われて...ヨシダナギだけの写真の世界は、こうして生まれた
まあ、もちろん、「アフリカの少数民族」「裸になる」といったキーワードが果たした役割は大きいことも理解している。が、その写真がなければ、テレビからお声はかからなかったとも思う。そもそも、写真がなかったら、私はただの〝アフリカで脱ぐ女〞に過ぎない。
今よりもずっと粗削りで、「もっとブラッシュアップしていかないといけないなぁ」と思い始めたのが、なんとテレビの同行取材が入ったときだった。つまり、現在の作品のような写真はたった1枚しかない状態での『クレイジージャーニー』出演だったのである。
言ってみれば、イチかバチかの賭けで出たようなものである。我ながらギリギリの橋を渡ったものだ。実験的にテレビに出て、よく成功したなと自分でも思う。もし、あのときの旅でいい写真が撮れていなかったら、今の私は存在していなかったし、相変わらずイラストレーターのまま(かニート)だったと思う。完全に私は、あのとき、モデルになってくれたアフリカの妖精〝スリ族〞に救われたと思っている。
こうやって、ネットとテレビ(と、もちろんアフリカ)から「フォトグラファー」という肩書きをもらえたおかげで、私には職業ができた。職業ができて、本当によかったと思う。
私は29歳まで、まともに働いたことがなかった。中学2年で学業というものを放棄してからは、14歳でグラビアアイドルになり、それが嫌になってフリーのイラストレーターになったのだが、案の定、それも嫌になった。どうにかしてそこから抜け出す方法を見つけようとしていたのが、私の20代だ。
「もうすぐ30になるというのに、いつまでもアフリカを追っかけていていいのだろうか? 散々、占いでは〝遅咲きの人生〞だと言われて信じてきたけれども、本当に咲く日は来るのだろうか。一体、私には何ができるのだろう......こんな私にしかできないことがきっとあるはずなんだ」
根拠もなく、ずっとそう思っていた。協調性に欠ける私にはオフィスレディなんて絶対無理だし、当たり前のことを普通の人と同じようにこなせないことも、ちゃんとわかっている。チーム力こそがものを言う仕事は、たぶん私には無理だ。だから人と違う仕事、もしくは、個人プレー的な仕事しかないのだが、それが何なのか、ずっとわからずに見つかるタイミングを待っていた。