コラム

インドに足元をみられる? カナダ人シーク教徒「暗殺」疑惑で先進国が直面するジレンマ

2023年10月04日(水)15時25分

先進国の直面するジレンマとは

ニジャール殺害事件の主体として疑惑を向けられているのは、インドの諜報機関RAW(調査分析機関)だ。イギリスにあるRUSI(王立防衛安全保障研究所)のウォルター・ラドリック博士は「RAWのこれまでの活動はスリランカやバングラデシュなどインドの周辺国がほとんどで、欧米でのこうした活動は初めてではないか」と述べている。

海外に逃れた反体制派に本国が刺客をさし向けることは、これまでロシアやイランなどに関してしばしば語られてきた。また、近年では2019年にサウジアラビア政府がジャーナリストのジャマル・カショギ氏をトルコにあるサウジ領事館で惨殺した事例がある。

もしRAWがニジャール暗殺を実行したとすると、外国の市民権を取得した者をその国で殺害したことになり、国家主権という意味ではより深刻である。

その一方で、カナダもアメリカもこの問題ができるだけ深刻化しないよう配慮している。両国がインド政府を正面から批判するのではなく、「捜査への協力」を求めているのはその象徴だ。

アメリカや先進国にとってインドとの関係は、中国包囲網の形成だけでなくウクライナ侵攻をめぐる対ロ制裁においても重要度を増している。疑惑浮上後、ウィルソンセンター南アジア研究所のマイケル・クーゲルマン所長はAPに「欧米の民主主義国家が戦略的な計算からインドを取り除こうとしているわけではないと思う」と述べているが、これは大方の見方を代表するものといえる。

だとすると、インド政府もそれを理解しているだろう。

つまり、仮にインド政府がニジャール暗殺に踏み切ったとすれば、そこには「欧米は強く出られないはず」という目算があったことになる。その場合、今回の件に関する先進国の対応次第では、国際的な立場が強くなったインドが今後さらにきわどい方針に向かう転機にもなり得る。

疑惑を解明せず、うやむやにすれば先進国にとって外交的な傷を大きくしなくて済む。しかし、それはインドに足元をみられるきっかけにもなりかねない。

先進国は大きなジレンマに直面しているのである。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

※筆者の記事はこちら

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

尹大統領の逮捕状発付、韓国地裁 本格捜査へ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 8
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 9
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 10
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story