「惨めな日常を覆す」無差別殺傷犯とドストエフスキー戦争擁護論のアナロジー
ドストエフスキーが『作家の日記』を著したのはロシア帝政末の動揺時代で、貴族や地主といった特権階級が幅を利かせる一方、庶民は困窮を極め、暗殺といったテロも横行していた。こうした時代背景のもとで登場したドストエフスキーの戦争擁護論がおよそ合理的理性とかけ離れた議論であることは疑いなく、抑圧によって生じる一種の情念であり、社会への怨嗟でさえある。
しかし、ドストエフスキーの叫びは当時トルコとの戦争に直面していたロシア民衆から熱狂的に支持された。そこには血を流すという非日常性が日常的に惨めな自分を解放するという倒錯があった。
空疎な優越感を求める者
ドストエフスキーの戦争擁護論は「映画のなかのジョーカーが平気で人をやっつけるのに憧れていた」と供述した京王線ジョーカーなど無差別殺傷犯の身勝手な言い分に通じるところがある。
彼らがドストエフスキーを読んでいたかは問題ではない(おそらく読んでいないだろうが)。ここで重要なことは、生命の危険にさらされた時、年収や学歴はもちろん法律や道徳にも何の意味もなくなり、それらがいかに脆いかを浮き彫りにすることで、自分の存在を確認しようとする精神性で両者は共通するということだ。
もちろん、ドストエフスキーの念頭にあった戦争と無差別殺傷には違いもある。その最大の違いは、戦争は一人では始められないが、無差別殺傷は一人でも始められることだ。
戦争を起こすことはできなくとも、一人で日常をひっくり返し、右往左往する人を眺めることは優越感を高め、あたかも自分がこの世の主権者のような倒錯を与えるのかもしれない。
いうまでもなく、それは現実には虚しい優越感で、自己満足に過ぎない。しかし、それは恐らく彼らには問題ではない。合理的理性と無縁の世界に生きる無差別殺傷犯は、現実とかけ離れた夢想にとりつかれたテロリストや陰謀論者と同じであり、その精神性は武器を見せびらかせながら「内戦」を叫ぶトランプ支持の極右過激派にも通じる。
だとすれば、相次ぐ無差別殺傷は、いわば「戦争ごっこ」を夢想する者が増殖していることを示す。その主張がたとえ身勝手なものであったとしても、手段にかかわらず日常を転換したいと望む者が増えていることこそ、無差別殺傷の連鎖が示す最大の社会的リスクといえるだろう。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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