コラム

香港に迫る習近平の軍隊、人民武装警察とは何者なのか

2019年08月16日(金)13時08分

もともと人民武装警察のルーツは、1949年の建国直後に発足した「人民公安部隊」にある。これは中国政府公安部の管轄下に置かれた部隊だったが、「共産党の軍隊」である人民解放軍からの影響も大きかった。

そのため、数度の組織改編を経て、1982年に正式に発足した人民武装警察は、それ以前の権力闘争を反映して、共産党中央軍事委員会と国務院の二重の指揮を受ける点に大きな特徴があった。

ところが、2018年にこの指揮命令系統は中央軍事委員会のみに一本化された。治安機関が複数の指揮権のもとにあること自体、異例のことであり、この改革は近代国家としては当然のことだが、実際には中国国内の縄張り争いの結果として実現した。

二重の指揮に服していた時代、各地の省政府などにも人民武装警察の指揮権は与えられていた。しかし、集権化を進める習近平体制のもと、権力闘争のなかで習氏と異なる派閥に属する各省の共産党トップが収賄などの容疑で相次いで拘束されるなか、「人民武装警察が北京に敵対し得る」という懸念が共産党に生まれた。

その結果、人民武装警察は共産党中央軍事委員会の直属となり、これによって人民武装警察はそれ以前にも増して「共産党体制を守るための組織」になったといえる。言い換えると、人民武装警察の改革は、習近平体制の集権化の一つの象徴でもあるのだ。

天安門事件以上の鎮圧はあるか

この変化は、香港での治安対策にも変化をもたらすとみられる。

複数の指揮命令系統があった時代、人民武装警察は人民解放軍と異なり、必ずしも共産党の意向に沿った活動を行わないことがしばしばあった。

例えば、1989年の天安門事件の際、北京に駐留し、郊外に向かう幹線道路などの警備に当たっていた人民武装警察のいくつかの部隊は、中央軍事委員会からの命令にもかかわらず、民主化運動を行う学生のデモ隊を鎮圧することを拒んだといわれる。そのため、二重の指揮命令系統が共産党からみて「非効率」と映ったとしての不思議ではない。

これを受けて、1995年に中央軍事委員会と国務院は人民武装警察の人事権を中央軍事委員会に集中させるという政令を発表し、集権化を図った。しかし、それでも省政府の幹部らは人民武装警察を展開する権限を手放すことに消極的だった。

先述の指揮権の一元化は、こうした「非効率」をなくすものだ。それは言い換えると、香港デモに人民武装警察が介入すれば、共産党の指示に忠実にデモ隊の鎮圧に臨むことを意味する。

1989年当時と比べて大国としての存在感を増す中国が、しかも世界の目が集まる香港に、人民武装警察を実際に投入するかは予断を許さない。しかし、もし中国当局が国際的な批判を覚悟で介入する場合、天安門事件以上に徹底した弾圧になる可能性さえあるといえるだろう。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

※筆者の記事はこちら

2019081320issue_cover200.jpg
※8月13&20日号(8月6日発売)は、「パックンのお笑い国際情勢入門」特集。お笑い芸人の政治的発言が問題視される日本。なぜダメなのか、不健全じゃないのか。ハーバード大卒のお笑い芸人、パックンがお笑い文化をマジメに研究! 日本人が知らなかった政治の見方をお届けします。目からウロコ、鼻からミルクの「危険人物図鑑」や、在日外国人4人による「世界のお笑い研究」座談会も。どうぞお楽しみください。


プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏とゼレンスキー氏が「非常に生産的な」協議

ワールド

ローマ教皇の葬儀、20万人が最後の別れ トランプ氏

ビジネス

豊田織機が非上場化を検討、トヨタやグループ企業が出

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 7
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story