天安門事件30周年や香港デモに無言の日本――「中国への忖度」か?
これに対して、第二次大戦後の日本政府は「西側先進国の一国」であることを外交的な立場として何より優先させてきた。つまり、日本の場合、自らは内政不干渉を重視していても、他の西側先進国の言動を批判することはもちろん、その動向とあまりにかけ離れることもできない。
天安門事件への制裁やクーデター後のミャンマーとの関係でみられた、西側とアジアに両股をかけた対応は、そのなかで生まれた。
より最近の例をあげよう。北東アフリカのスーダンでは6月3日、民主化を求めるデモ隊に治安部隊などが発砲し、60名以上が死亡した。これを受けてスーダン政府は欧米諸国から批判されただけでなく、周辺のアフリカ諸国が加盟するアフリカ連合(AU)からも参加資格を停止されたが、日本政府は発砲を「非難する」という声明を出しながらも、今年8月に横浜で開催されるアフリカ開発会議(TICAD)でのスーダン出席の取り消しなどには言及していない。
人権を貶める者
良くも悪くも、日本政府の立場は戦後ほとんど変わらない。そのため、冒頭の「中国への配慮」を強調する取り上げ方は、故意か偶然かはともかく、相手が中国だからという点に焦点を当てすぎているばかりか、あたかも「日本はそれ以外の場合、人権問題に積極的に関わっている」というミスリードにさえなりかねない。
同じことは、香港デモに関して「中国が世界各国から非難されている」という論調に関してもいえる。
中国の人権問題を公式に批判しているのは一部の欧米諸国だけで、世界の大半を占める開発途上国、新興国はこれに沈黙している。そこに中国の経済力への配慮があることは否定できなくても、より根本的には内政不干渉を重視するスタンスによるものだ。実際、中国が今ほどの経済力を持たなかった1989年の天安門事件の際も、ほとんどの開発途上国は中国政府の立場に理解を示した。
中国を擁護する気は全くない。しかし、「気に入らない」という感情を「人権」のワードで正当化することは、日本を含むそれ以外の国の人権問題を軽視する風潮にもつながり、結果的に人権の理念を貶めるものといえる。
それは中国の人権問題には熱心でも、友好国であるという理由でサウジアラビアのジャーナリスト殺害事件やインドのムスリム迫害などには口をつぐむアメリカ政府に関しても同じだ。言い換えると、都合のいい時だけ人権を持ち出す立場は、人権を基本的に尊重していないという意味で、中国政府の立場と大きく変わらないのである。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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