「イエローベスト」の暴徒化に揺れるフランス、その不穏な正体
「...彼ら(ブルジョワジー)はあらゆる地位につき、その地位の数を増やし、自分の営む産業によって生きるだけではなく、それとほとんど同じ程度に、国庫に寄生するのを常とするようになった。...彼らのそれぞれが国事のことに思いをめぐらすとすれば、それは彼らがその私的な利益のために国事を利用したいと考えた時だけだという有様なのだ」
出典:『フランス二月革命の日々』pp.18-19.
結局、ルイ・フィリップは1848年、都市住民や農民の幅広い抵抗によって退位せざるを得なくなった(二月革命)が、親ビジネス派としてのマクロン改革が右派と左派の垣根を超えたイエローベストのデモを引き起こしたことは、これを想起させる。
分断は克服されるか
今後、マクロン氏にとってあり得る選択は、ウィングを広げることだ。マクロン氏は中道・親ビジネス派に支持が厚いが、左右いずれかの勢力と接近することで、イエローベストを分断し、政権基盤を安定できる。
ただし、それは容易でない。「小さな政府」を目指す以上、左派との相性はよくない。かといって、ドイツのメルケル首相の退任が決まっている状況で、マクロン氏は次世代のEUリーダー候補と目されているため、反EUを叫ぶ右派との協力も難しい。
同じことは、イエローベストに関してもいえる。
フランスの著名な政治学者でパリ政治研究所のジェローム・セント・マリー博士は、右派と左派が連携するイエローベストの運動を、政治的な分断を超えた社会的な再統一の動きと評価する。だとすれば、マクロン大統領とは別の意味でイエローベストも「右派でも左派でもない」ことになる。
とはいえ、右派と左派は反マクロンの一点で一致しているのであり、その協力が継続するかは疑わしい。イエローベストに全体を導くリーダーがおらず、ソーシャルメディアを通じて集まった寄り合い所帯であることは、政治勢力としての結束の弱さを意味する。
「ブルジョワジーの王」を二月革命で打ち倒した各勢力は、その後内部分裂に陥り、この混乱が結局クーデタで権力を握った皇帝ナポレオン3世の登場を促した。最近でいえば、2011年の「アラブの春」の最中、エジプトでイスラーム主義者やリベラル派の連合デモ隊が同国を30年に渡って支配したムバラク大統領を失脚に追い込んだ後、内部抗争が激化し、結局は軍のクーデタによって混乱が収束した。
これらに鑑みれば、イデオロギーの違いを超えた結束は「共通の敵」を欠いた途端に崩れやすく、それは圧倒的な力によって始めて押さえ込まれがちといえる。だとすれば、フランスの混迷はいまだ始まったばかりなのかもしれない。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。
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