インドの闇を象徴する世界一の彫像──日本メディアに問われるもの
それが忖度だったと断定できる根拠はない。ただし、少なくとも結果的に、日本メディアのほとんどが、モディ首相来日とほぼ同じタイミングでのパテル像の落成式を伝えなかったことは確かだ。
政府が外交関係を重視して相手国の国内問題を無視するのも、経済界が進出先の内政に関心を持ちにくいことも、褒められた話ではないかもしれないが、いわばよくあることだ。しかし、もし「それを報じればインドの暗部に触れないわけにいかない」と考えた結果、パテル像について伝えなかったとすれば、独立した言論の府としての役割をメディアが放棄するものといえる。
世論に対するメディアの責任
さらに、こうした報道のあり方は、「知りたいように知る」という世論の傾向をさらに後押しすることになる。
人間は自分の興味関心の向かうことを、理解しやすいように理解しがちだ。それは人間の処理能力の限界から避けがたく、また効率的に情報を摂取することを助けるが、他方でネットの普及で好きな情報だけピックアップすることに慣れるにつれ、「知りたいように知る」、「知りたいと思わないことは知ろうとしない」風潮が強まっているように思われる。
そのなかで、例えば人権問題に限っても、北朝鮮や中国に関するネット記事は数多いが、程度の差はあれ、それ以外の国は放置されがちだ。「それがニーズに合っている」といえばそれまでだが、「気に入らない国の人権問題」だけ注目し、「日本との関係が大事な国」のそれを顧みないことは、少なくとも普遍的価値として人権を尊重していることにならない。
おまけに、「都合の悪い情報を無視している」という自覚があるならまだしも、情報の存在そのものに気づかなければ、極端にいえば「日本が関係を強化しようとしている国は何の問題もないいい国」とさえ思い込みがちになる。意識的であれ、無意識であれ、「知りたいように知る」だけに傾いた思考パターンは、インド最大の観光地タージ・マハルがムガール帝国時代のイスラームの霊廟であるにもかかわらず、インドがヒンドゥー教徒だけのものと主張するヒンドゥー・ナショナリストのそれと紙一重だ。
もちろん、全ての国に関心を向けることは困難だが、関係を強化しようとするのであれば、なおさら相手国の光ばかりでなく影も知ることが必要なはずで、この緊張感を保つうえで、政府とも経済界とも異なる視点を提供できるはずのメディアの果たすべき役割は大きい。多くの問題を抱えているものの、欧米メディアの多くが政治的、経済的な結びつきの強い国の暗部を明らかにすることを躊躇しない点には、見るべきものがある。
パテル像の建立は、インドの闇を浮き彫りにするばかりでなく、日本メディアに改めて言論の府としての責任の重さを問いかけているといえるだろう。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。
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