入管法改正案の最大の問題は「事実上の移民政策であること」ではなく、政府がそれを認めないことだ
低所得層の移民は確かに固まって暮らすことが多く、結果的に犯罪多発地域(つまり地価の安い土地)に移民が集中しやすくなる。ただし、それは所得水準や偏見などに促されるもので、「外国人が増えたら犯罪が起こりやすくなる」というのは乱暴な言い方である。
また、「雇用の奪い合い」もよくいわれるが、そもそも先進国の人間が単純労働をやりたがらないなか、外国人がその穴埋めのために招かれるのであり、多分に誇張が含まれている。
さらに、由緒ある寺社仏閣が立ち並ぶ京都や鎌倉で場違いなカフェやレストランを開業している経営者も、ハロウィンに渋谷で暴れまわった若者も、その大半が日本人で、多くの日本人自身が「日本らしさ」を放置していることに鑑みれば、「日本らしさを損なうから外国人の受け入れに反対」という主張は説得力を欠く。
もちろん、実質的に移民を受け入れるとなれば、例えば母語が日本語でない子どもの就学の問題など、相応のコスト負担が必要になる。
したがって、日本政府に求められるべきは、むしろ移民にまつわる誤解や誇張を打ち消し、受け入れのコストを差し引いても利益が大きい、あるいは必要である、という覚悟を国民に広く求めることであろう。
負のレガシーの恐れ
この理解や覚悟を欠いたまま移民を受け入れたことが、現在のヨーロッパの移民問題の根底にある。
ヨーロッパ諸国は1940年代後半、戦後復興を行う人材の不足を海外から調達したが、彼らは「移民」ではなく「一時的な労働力」とみなされやすかった。当時、西ドイツでトルコ系が「ガストアルバイター(英語でいうゲストワーカー)」と呼ばれたことは、その象徴である。
ところが、多くの移民は「一時滞在」の前提を共有しておらず、戦後復興が終了した後も増え続けたため、認識のギャップが拡大した。「想定と違った」ことはその後、受け入れ国市民の間に反移民感情が生まれやすい土壌になった。
日本政府が「移民政策ではない」と抗弁して国民に「移民は来ない」と思わせようとしているなら、将来的に永住者が増えた際に「想定と違った」という不満を生まれやすくする。しかも、その頃には現在政権を担っている政治家や官僚は引退しており、憎悪や不満の矛先は、その時代の移民たちに向けられる。その場合、今回の入管法改正は、日本にとって負のレガシーになり得る。
言い換えるなら、この問題は安倍首相のお気に入りの慣用句「結果責任」や「責任政党」のあり方を問うているといえるだろう。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。
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