テレビは自由であるべきか──アメリカの経験にみる放送法見直しの危険性
米国の巨大メディア企業が資本力を武器に参入した場合、米国式の「自由な報道」が日本でも行われかねません。その弊害は、電波事業への外資参入が認められている英国ですでに報告されています。
2017年11月、英国の放送・通信を監督するOfcomはFOXニュースの報道番組が同国の公平原則に反したと結論。この番組は、2017年5月にマンチェスターで発生した、22人の死者を出す爆破テロ事件を取り上げ、「ポリティカル・コレクトネスという『公式のウソ』を強制する『全体主義』の政府がテロ対策に失敗した」という見解を紹介。批判された政府の見解は紹介されず、司会者も異論を示しませんでした。
日本で「公平」が撤廃されれば、この種のニュースも規制されにくくなります。
「自由な報道」は多様性を生むか
これに加えて注意すべきは、自由な報道が「視聴者の選択の自由」の前提である「多様性」を生むとは限らないことです。よく知られる例としては、イラク侵攻(2003)があげられます。
「イラクが大量破壊兵器を保有し、これがアルカイダに渡ると危険」という、およそ荒唐無稽な主張と、「米国の安全のための予防的先制」という論理には、多くの国から反対が噴出。しかし、他の見解を省いたシンプルな意見が各局から洪水のように流された結果、世論調査によると開戦に反対した米国市民はわずか27パーセント。TV報道に何らかの反対意見を表明した市民は3パーセントにとどまりました。
9.11後の米国が一種の集団的なヒステリーに陥っていたことは割り引くべきでしょう。また、CIAなどが誤った情報を提供していたことも確かです。
しかし、疑心暗鬼になりやすい時に何の規制もなければ、全ての放送局からフェイクとヘイトに満ちたニュースが垂れ流され、ほとんど全員が同じ方向に向かっても不思議ではありません。「空気」がまかり通りやすい日本では、なおさらです。
後発者の利益とは
念のためにいえば、報道には公平とともに自由が不可欠です。「報道の自由度」が先進国中最低レベルで、「公平」が政府批判を抑制させる手段の日本では、なおさらです。
その一方で、公平が時につまらなくて非生産的になるのと同じく、自由が過激主義や排他主義に向かいかねないこともまた確かです。
重要なことは、先行する者が常に有利と限らないことです。後発者は先行者の試行錯誤をみて、よい部分を効率的かつ選択的に吸収できます。これは「後発者の利益」と呼ばれます。
「公平」を放棄した米国は自由な報道で間違いなく他国に先行しています。しかし、そこには光も影もあります。後発者はその光を追い、影を避ける余裕があるはずです。少なくとも米国の経験を全面的に見習う必要があるかは疑問で、自由で公平な報道の実現には、より慎重な検討が求められるでしょう。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。
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