日常を「体験」する映画『わたし達はおとな』に釘付けになる理由

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<決して大きな話ではない。それでも目を離せないのは、俳優たちの演技がリアルすぎるから。演劇出身の監督・加藤拓也は現場でどう演出したのか。どんな脚本だったのか>
しばらく旧作が続いたけれど、今回は新作『わたし達はおとな』だ。
大学でデザインの勉強をしている優実は、演劇サークルのチラシを作ったことがきっかけとなって、プロの演出家を目指している直哉と交際を始める。
やがて優実は妊娠していることに気付くが、子供の父親が直哉であるという確信を持てない。その苦悩を打ち明けられた直哉は、一旦は生まれてくる子供の父親になる決意をするが、その気持ちは時間の推移とともに揺れ動く。
それぞれ元カノへの思慕や元カレの未練、嫉妬なども重なり、2人の関係は少しずつぎくしゃくし始める。
優実役は、映画『菊とギロチン』で女相撲の力士を演じた木竜麻生。直哉役は藤原季節。全編の半分近くは2人のやりとりだ(尺ではなく感覚としてだが)。
まずはタイトルが良くない。もう少し何とかならなかったのか。タイトルから想起すれば、テーマは若者の成長ということになるが、その試みが成功しているとは言い難い。2人は目に見えるような変化はしない。でも逆に言えば、数カ月のスパンを切り取った映画なのだから、目に見えるような変化は嘘くさいと感じるかもしれない。
決して大きな物語ではない。どこにでもある話。でも目を離せない。リアルすぎるのだ。主演の木竜と藤原だけではなく、2人の学友などを演じる他の俳優たちの演技も圧巻だ。タイトルなどどうでも良くなる。
例えば喫茶店で数人が飲み物をオーダーするとき、「すいません」と店員を呼ぶ声が重なる。当たり前だとあなたは思うかもしれない。でも一般的な演劇的空間ではこの状況で、せりふをかぶらせることはあまりしない。誰か一人に言わせるはずだ。
あるいはしゃべりながら照れ笑い。吐息。一瞬の間。同じ言葉の繰り返し。俳優の言葉や所作はとてもリアルだ。でもリアルを示すための演技ではない。はなからリアルなのだ。
監督の加藤拓也は演劇出身。本作は自身のオリジナル脚本による初の長編映画らしい。現場でどのように演出したのだろう。あるいはどんな脚本だったのだろう。
書くまでもない補足だが、舞台と映画とでは芝居の質が違う。似て非なるものの典型だ。舞台の名優が映画でも名優とは限らない。逆もまたしかり。つまり本作の演出について、監督である加藤が舞台出身だからできたと考えるのは間違いだろう。