貧富を「高低差」で描いた『パラサイト』は、黒澤明の『天国と地獄』から生まれた?
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<丘の上の豪邸を見上げるスラム街の若者──『パラサイト 半地下の家族』で格差の暗喩に高低差を使ったポン・ジュノは、きっと黒澤の『天国と地獄』を見ていたのだろう>
大学2年のとき、映画研究会のOBからCM制作会社でバイトをしないかと誘われた。青山にあった小さな会社の名称はトム企画。社員数人だったけれど仕事は忙しい。この数年前に野坂昭如が歌いながら踊るサントリーゴールドのCMが大きな評判になった。それがトム企画の制作だった。読者がもしも50代以上なら、「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか」の歌詞と聞けば、あああれか、と思い当たるかもしれない。
立場はバイトだけど、多くの撮影現場に雑用として行かされた。サントリーゴールドのCM第2弾の撮影のとき、カメラの前で野坂は実際にウイスキーを飲んでいた。紅茶などでごまかさない。何度もテイクを重ねて泥酔した野坂は、スタジオの隅で腕組みして撮影を見つめていた年配の女性に駆け寄りながら「ノガミさん!」と甘えるように何度も名前を呼んだ。天下の野坂が懐っこい猫のようになっている。ディレクターにあの女性は誰ですかと聞いたら、野上さんだよ、おまえ映研のくせに知らないのかとあきれられた。
野上照代。トム企画に制作を発注した広告代理店サン・アドのプロデューサーであると同時に、黒澤明監督の作品の多くにスクリプター(記録係)として参加していて、製作のパートナーと言っても過言ではない女性だ。
このときの僕は彼女の偉大さをよく理解していなかった。休憩時間に黒澤さんってどんな方ですか、と気安く聞いた。少し考えてから野上は「一口に言えないけれど優しい人よ」と答えた。優しくなければ映画なんか作れないわよ、と言われたような気もする。
前書きが長くなった。僕が野上と一瞬だけ出会った頃の黒澤は、ロシア(当時はソ連)の国営映画会社モスフィルムの全面的なバックアップで製作した『デルス・ウザーラ』と超大作『影武者』の間の時期だった。出来についてはどちらも微妙だ。何だろう。悪い意味で大味なのだ。
名画座で『天国と地獄』を見たのはこの時期だ。身代金を要求される会社重役の役として、野武士顔の三船敏郎はミスマッチだ。でも誘拐されたのが自分の子供ではなく運転手の子供だと気付いた後も、身代金を払う決意は変わらない。不思議なキャラクターだ。冷酷なのか優しいのか分からない。
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