『翔んで埼玉』が悔しいほど痛快な理由──ギャグとテンポ、そして実名の威力

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<邦画だけでなくテレビドラマも含め、日本の表現分野はとにかく実名を隠す。実話がベースでも組織や個人の名前を姑息に変える。その点、『翔んで埼玉』は振り切っている>
2019年公開の『翔んで埼玉』は話題のコミックの実写版だ。でも劇場まで観に行こうとは思わなかった。理由の1つは(特にシネコン系の場合)アニメ全盛で、オリジナル脚本よりコミックや小説の実写化が幅を利かせて、アイドル系タレントの出演が前提になっている今の邦画状況に心底うんざりしているからだ。
大手映画会社の偉い人たちや製作者を一方的に責めるつもりはない。だって観客が求めているのだ。需要があるから供給がある。つまり市場原理。これに尽きる。もちろんアニメや実写版にも秀作はある。でも安易過ぎる。そう思っていた。しかし5月の連休中に配信を観てしまった。
......言い訳はここまで。本作の感想は一言に尽きる。むちゃくちゃ痛快だった。不明を恥じる。監督は武内英樹。『テルマエ・ロマエ』『のだめカンタービレ』も監督している。どちらもコミックの実写化。しかも製作にはフジテレビが関わっている。出資してくれる。羨ましい。そして妬ましい。本当なら取り上げたくない。でも面白いから仕方がない。
テンポやギャグのセンスが一級であることは確かだが、この作品が痛快である最大の理由は実名だ。映画の舞台は出身地や居住地によって激しい差別が行われている日本。埼玉出身の主人公は、同様に差別されている千葉や茨城出身者たちと連帯して、自分たちを不当に統治する東京に対してレジスタンスの闘いを挑む。
これは邦画だけではなくテレビドラマなども含めての傾向だが、日本の表現分野はとにかく実名を隠す。実話をベースにした作品でも、組織や個人の名前を姑息に変える。話題になった『Fukushima50』でも登場する政治家や関係者の固有名詞はほぼ示されず、東京電力は東都電力に変えられていた(同じく原発事故を描いて、政治家は全て実名にした『太陽の蓋』には、ほかの機会で触れたい)。
ところがハリウッドの場合、『バイス』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』『ブッシュ』『ニュースの真相』『フェア・ゲーム』などここ10年ほどの作品だけでも、政治家や大企業やメディアの固有名詞をしっかりと示す。その上で批判する。あまりにも映画の風土が違う。