コラム

よくしゃべり、よく食べ、互いの体を貪り合う... 欲望全開でも静かな『火口のふたり』の2人

2021年01月26日(火)11時35分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<監督は荒井晴彦。キャストは賢治を演じる柄本佑と直子を演じる瀧内公美の2人だけ。人生はこれからだというのに、2人は何かを諦観したかのように静謐で...>

直木賞作家である白石一文による同名小説を原作とした『火口のふたり』は手ごわい。何が手ごわいのか。とても難解なのだ。そう書くと誰もが難しい作品を想い描くと思うが(当たり前だ)、作品そのものは決して難解ではない。いやむしろシンプル過ぎるくらいにシンプル。でも解釈が難解なのだ。

東日本大震災から7年が過ぎた夏。故郷を離れてから離婚と退職を経験し、さらに再就職後も会社が倒産した永原賢治は、かつての恋人だった従妹の直子の結婚式に出席するため故郷の秋田に帰省する。

物語はここから始まる。キャストは賢治を演じる柄本佑と直子を演じる瀧内公美の2人だけ。ほかには誰も出ない。でも観ている間は気付かなかった。観終えてから、あれそういえば2人だけだ、という感覚だ。

脚本は『赫い髪の女』『Wの悲劇』『共喰い』『幼な子われらに生まれ』などを手掛けた荒井晴彦。本作は彼にとって、『身も心も』『この国の空』に続く3作目の監督作品でもある。

宣伝のキャッチコピーは、「世界が終わるとき、誰と何をして過ごしますか?」......たぶんこのフレーズは荒井の趣味ではない。直感的にそう思う。でもある意味で、この映画のテーマを言い当てている。

世界の終わりと聞いて僕よりも上の世代は、スタンリー・クレーマーが監督した『渚にて』を思い起こすかもしれない。第3次世界大戦で北半球が壊滅して、深海に潜水していたアメリカ原子力潜水艦の乗組員たちは、北半球の唯一の生き残りとして南半球に向かう。しかし南半球も放射能の汚染からは逃れられない。やがて彼らは生存を諦めて、人類は少しずつ滅亡に向かう。

死を目前にした人たちは、驚くほど静謐(せいひつ)だったような気がする。そういうものかもしれない。うろたえたり泣き叫んだりパニックになったりするのは、おそらくはもっと前の時点なのだろう。

賢治と直子の人生はこれからだ。特に直子は10日後に結婚式が予定されている。今は独身の賢治だって、これから誰かと恋をして仕事も見つけなくてはならない。でも2人は、何かを諦観したかのようにとても静謐だ。とても静謐なまま欲望を全開して、朝から夜中まで擦り切れるほどの性交にふける。

2人はよくしゃべる。そしてよく食べる。つまり性だけではなくあらゆる欲望が全開なのだ。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

国際司法裁判所、新所長に岩沢裁判官を選出

ビジネス

米国株式市場=反落、経済指標やトランプ関税巡る懸念

ビジネス

NY外為市場=ユーロ上昇、カナダドルとメキシコペソ

ビジネス

カナダ外相「米関税に対応用意」、発動なら1550億
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Diaries』論争に欠けている「本当の問題」
  • 3
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 4
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 5
    バンス副大統領の『ヒルビリー・エレジー』が禁書に…
  • 6
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 7
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 8
    米ウクライナ首脳会談「決裂」...米国内の反応 「ト…
  • 9
    世界最低の韓国の出生率が、過去9年間で初めて「上昇…
  • 10
    生地越しにバストトップがあらわ、股間に銃...マドン…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    富裕層を知り尽くした辞めゴールドマンが「避けたほ…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    イーロン・マスクのDOGEからグーグルやアマゾン出身…
  • 7
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 8
    東京の男子高校生と地方の女子の間のとてつもない教…
  • 9
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 10
    日本の大学「中国人急増」の、日本人が知らない深刻…
  • 1
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 4
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 5
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 6
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 7
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story