『竜馬暗殺』は社会の支持を失った左翼運動へのレクイエム
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<革命成就を前にして志半ばで暗殺される竜馬に投影されたのは、反体制や左翼的運動を標榜しながらドキュメンタリーを撮っていた製作陣の哀愁か>
1960~80年代に日本アート・シアター・ギルド(ATG)という映画会社があった。ベルイマン、ゴダール、トリュフォーなど決して商業的ではない監督たちの作品を配給し、大島渚や吉田喜重、寺山修司などアート系の映画製作も支援。直営館のアンダーグラウンド蝎(さそり)座やアートシアター新宿文化で上映していた。
1970年代後半、安部公房の小説を勅使河原宏が映画化した『砂の女』を蝎座で観た。砂の穴に住む女と穴から逃げようとする男。これが初めてのATG体験だったはずだ。その後もATGの映画は何本も観ているが、直営館の後は名画座で上映されることが多かったので、蝎座や新宿文化で観たかどうかは思い出せない。1974年公開の『竜馬暗殺』もそのひとつだ。
主演は原田芳雄。他のキャストは石橋蓮司、松田優作、桃井かおり、中川梨絵。脚本は清水邦夫と田辺泰志で、撮影は田村正毅。監督は黒木和雄だ。つまり岩波映画製作所を中心としたドキュメンタリー系のスタッフが集結している。基本は16ミリモノクロだが、予算が足りずに一部8ミリで撮影したと、この時期に雑誌か何かで読んだ記憶がある。
初めて劇場で観たとき、まずは竜馬役の原田の格好良さに圧倒された。もちろん端正とかスタイリッシュとかの語彙が代言する格好良さではない。強度の近眼で女好き。剣術もさして強くはない。トイレでしゃがみながら姉の乙女に書く手紙の文面を考えるシーンもあれば、褌(ふんどし)ひとつで刺客から逃げ回るシーンまである。
でもとにかく格好いい。
自らが目指した革命が成就する前に竜馬は暗殺される。史実では革命は明治維新として成就するが、映画はそこまで描かない。後半に何度も登場するのは、仮装してはやし言葉の「ええじゃないか」を叫びながら集団で熱狂的に踊り狂う民衆の姿だ。
ここに時代が投影される。
公開が1974年だから、企画はその数年前と考えられる。連合赤軍事件が起きた時期だ。まずは1972年2月のあさま山荘事件。連合赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質に山荘に立て籠もり、包囲した機動隊員と銃撃戦を行い、隊員2人と市民1人が命を失った。僕は中学生だったけれど、ほとんどの国民がテレビの生中継にクギ付けになったあさま山荘事件のときは、「学生がんばれ」的な周囲の大人たちの雰囲気を何となく感じていた。つまり安保闘争の熱気はまだ残っていた。でもその後に連合赤軍のメンバーたちが粛清の名の下に殺し合っていたことが明らかになり、その熱が一気に冷えた。言葉にすれば「いくらなんでも」という感覚だ。