コラム

『人間蒸発』でドキュメンタリーの豊かさに魅せられて

2020年07月31日(金)17時15分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<突然失踪した婚約者を必死に捜す一人の女性と彼女に密着する製作陣。撮影過程で展開される出来事はドラマさながらだが、これは決して劇映画ではない>

ドキュメンタリーの監督と思われている。......と書き出したけれど、確かにこれまで発表した映画作品は全てドキュメンタリーなのだから、この呼称は間違いではない。でも本人としては微妙に違和感がある。

なぜなら映画を観始めた10代後半の頃は、ドキュメンタリーに関心はほぼ皆無だった。映画といえばドラマ。それが前提だ。ところが紆余曲折を経て(テレビドラマに携わるつもりで)入社した番組制作会社は、ドキュメンタリー制作に特化した会社だった。この時点で長女が生まれていた。また就活に戻る余裕はない。こうして僕のドキュメンタリー人生が始まる。

だからこの時期の僕は、小川紳介の名前すら知らなかった。ちょうど原一男が『ゆきゆきて、神軍』を発表した頃だ。気にはなったが観ていない。AD(アシスタントディレクター)としての仕事が忙し過ぎたせいもあるけれど、ドキュメンタリー映画はテレビとは全く別の世界なのだと思っていたことも確かだ。

テレビの仕事を始めて十数年が過ぎた頃、僕は『A』を発表して、ドキュメンタリー映画監督という肩書を付けられるようになった。そして次作の『A2』を撮っていた頃、『人間蒸発』という映画の存在を知る。『A』『A2』のプロデューサーの安岡卓治(たかはる)からこのタイトルを初めて聞かされたとき、それはSF映画か、と聞き返してあきれられたことを覚えている。

公開は1967年。監督は今村昌平。『神々の深き欲望』を発表する1年前だ。ちなみに、原一男に奥崎謙三を紹介して撮影を勧めたのは今村で、その作品である『ゆきゆきて、神軍』のチーフ助監督は安岡だった。このあたりのドキュメンタリー人間模様はけっこう複雑で面白いのだが、今は詳細を書く紙幅がない。

ドキュメンタリーを撮り続けるなら絶対に観ておくべき作品だ。そんなことを安岡に言われて『人間蒸発』を観た。何の前触れもなく失踪(蒸発)した婚約者の大島裁(ただし)を必死に捜し続ける早川佳江。地方への出張が多かった彼の足跡をたどって旅に出る彼女に、今村たち撮影スタッフと俳優の露口茂が同伴する。

手掛かりを探す過程で、佳江も知らなかった大島の過去が次々に明らかになる。やがて佳江は露口に恋心を打ち明ける。露口は当惑するが、これで映画が面白くなると今村は大喜びする。

【関連記事】『竜馬暗殺』は社会の支持を失った左翼運動へのレクイエム
【関連記事】『i―新聞記者ドキュメント―』が政権批判の映画だと思っている人へ

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 9
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 10
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story