実は日本との縁が深い学問「未来学」、いま盛り上がっている理由とその歴史
半ば手探りの状態ではありながら、熱情があった。未来を自分たちでつくり出していくという使命感や高揚感もあったであろう。
日本で未来学を根付かせ、発展させようという熱意は1970年、京都での未来学の国際会議「第2回国際未来学会」開催にも表れている。果たして、この会議を契機に「世界未来学連盟」(World Futures Studies Federation)がパリで発足した。
日本がこの国際会議をホストした1970年、日本の未来学ブームは沸点に達したと言える。同年、大阪で万国博覧会が開かれたことは決して偶然ではなく、むしろ深い関係があったことは追って振り返りたい。
しかしそれから半世紀余りが過ぎた今、日本における未来学の認知度、理解度は決して高いとは言えない。
1967年当時、大学における「未来学科」新設について「いまから、未来学の体系について、いくらかはかんがえておいたほうがいいようにおもわれる」(『未来学の提唱』(1967)より)との梅棹氏の指摘がありながらも、日本において未来学に関する議論は目立った盛り上がりを見せぬまま21世紀を迎え、今に至っている。
あの一時期の未来学に対する熱はどこへ行ってしまったのか――。この間、空白の数十年の理由について、未来学の歩みとともに連載の中で考察する。
日本に高いポテンシャル
一方、世界ではこの半世紀の間に、未来学についての熟議が重ねられ、体系化された一学問として認識されるようになった。欧米を中心に未来学の学術的使命が徐々に明確になり、学問の輪郭がはっきりとしてきた。その理論がビジネスなど実社会に応用されるケースも増えた。
未来学は、着実に浸透してきた海外に比べ、日本では依然あまり耳慣れない言葉のままだ。しかし、日本は今後この学問が大きく発展する余地があると考えられる。
地球温暖化や海洋汚染といった問題など、未来学が扱う主要テーマの1つ、SDGs(国連が掲げる持続可能な開発目標)の諸課題は、日本にとって決して無関係ではないだろう。そうした課題解決に向け、未来学は活用できる。
加えて、少子高齢化など将来の人口動態が不安視される課題先進国である。未来学が大きく花開く素地が日本にはあるはずだ。
実際、日本で未来学の胚胎を予感させる動きはこのところ顕著だ。未来の技術や社会を予想したり、自社の将来像と重ねたりする企業の取り組みが目立ち、未来学者、フューチャリストという肩書も散見される。
ただ、それぞれの企業や人物が別個に活動している節があり、混沌とした状態とも言える。そこに未来学という横串を刺すことができれば、有機的な連携が生まれ、学問的発展も見込める。そうした期待や願いを連載には込めた。
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