コラム

ロシアがアメリカ大統領選で行なっていたこと......ネット世論操作の実態を解説する

2020年08月19日(水)17時30分

ロシアのネット世論操作の対象と狙い

ロシアのネット世論操作に対抗するためのEUの組織EastStratcomのサイトでは2020年に入ってから8月12日までに千を超えるフェイクニュースなどのネット世論操作活動を報告している。ロシアが精力的に全世界を相手にフェイク情報を流し、ネット世論操作を仕掛けていることがわかる。

その活動をひとつひとつ追っていても全体像は見えてこない。ロシアの仕掛けているハイブリッド戦は、三つのサークルやロシアの政治学者であるドゥーギンの主張に影響を受けている。

イリヤ・プリツェルの三つのサークルとは前回ご紹介したCIS(独立国家共同体=旧ソ連15カ国のうち12カ国の国家連合)諸国、旧ソ連に近接する国、アメリカ・西欧諸国の三つである。

ドゥーギンの著書『地政学の基礎──ロシアの地政学的未来』は政治家や政府関係者のみならず、ソ連軍参謀本部大学校などの多くの教育機関でテキストに使われている(『新しい地政学 』、東洋経済新報社 、2020年2月28日)。ドゥーギンは、三つの枢軸=モスクワ・ベルリン枢軸、モスクワ・テヘラン枢軸、モスクワ・東京枢軸に基づくネオ・ユーラシア主義の実現を目指していた。モスクワ・ベルリン枢軸は対ヨーロッパ戦略の基本となっており、ドイツを中心に影響力を拡大し、中東欧諸国のプロテスタントとカトリックの国家およびバルト三国にその範囲を広げることを目指している。フランスとポーランドも特別重点を置いている。モスクワ・テヘラン枢軸でもっとも重要なのはイランとの関係でありジョージアやオセチアは解体し編入すべしとしている。モスクワ・東京枢軸では日本を政治的に封じ込めることを主張していた。

ロシアの行動はおおむねこれらの主張に沿っており、フェイクニュースを含むネット世論操作も影響力を増大し、自国への編入もしくはフィンランド化を前提としたものと、相手の力を削ぐために混乱を狙ったもの。そして封じ込めの三つに分けて考えられる。フィンランド化とは、冷戦時に中立と民主主義を維持しながらもソ連の影響下にあったフィンランドのように、相手国が民主主義を維持しつつ中立的(NATO脱退あるいはNATO解体)でロシアの影響下にある状態を指している。

たとえば、CIS諸国を中心とするヨーロッパ、グローバル・サウスは、編入あるいはフィンランド化の対象となっている。バルト三国、ポーランドは重要とされている他、ドイツ、フランスも重要とされている。グローバル・サウスではイランおよびアゼルバイジャンを重要視している。イランとはネット世論操作で協業している可能性が指摘されている。2014年、シリア大統領バッシャール・アル=アサドを批判した西側の外交専門家を攻撃したSNSのアカウントを分析すると、イラン、ロシア、シリア電子軍が連携していた可能性が高いと前掲『Russian Social Media Influence』は指摘している。アメリカに対しては混乱を起こして力を削ぎ、日本に対しては封じ込めを行っている。

ロシアが特に注力している「編入・フィンランド化の対象国」に対しての活動の分析は、少し古くなったが、2016年から2019年の3年間にかけて公開されたアメリカのシンクタンク大西洋評議会のレポート、『The Kremlin's Trojan Horses』3部作が白眉である。ロシアの対ヨーロッパ・ハイブリッド脅威について地域別にレポートした。ネット世論操作に留まらず、ロシア正教会の関与、ロシアンマフィア、ヨーロッパの政党への政治献金など多岐にわたって非軍事行動による干渉をまとめている。ハイブリッド脅威の実態を学ぶための貴重な資料であり、この分野の関係者にとって必読のものとなっている。これを読むと、ロシアがネット世論操作と他の方法(ロシア正教会の活用、極右および極左政党への支援など)を組み合わせたハイブリッド戦を展開している様子がよくわかる。

2016年の最初のレポートではフランス、ドイツ、イギリスに焦点をあて、イギリスのEU脱退、フランス大統領選における特定政党(AfD)への支援を中心に分析した。

2017年のレポートでは、ヨーロッパの南部、スペイン、イタリア、ギリシャを取り上げた。イタリアの極右親露の政党である同盟と5つ星運動を取り上げた。この2つの政党によりイタリアで連立政権が誕生し、反EUを掲げ、ロシアに対するEUによるロシア制裁にも反対した。ギリシャではマケドニア問題にフェイクニュースで干渉し、事態を膠着させた。スペインはロシアのネット世論操作に対して脆弱とされた。

2019年の最後のレポートではヨーロッパ北部、デンマーク、オランダ、ノルウェー、スウェーデンを取り上げている。この地域は概してロシアに対して否定的な態度を取っている。ロシアのプロパガンダ媒体であるスプートニクとRTが根付いている国はなかった。ただしスウェーデンでは極右勢力が台頭しつつあり、他の国に比べて危険が高まっているとしていた。

プロフィール

一田和樹

複数のIT企業の経営にたずさわった後、2011年にカナダの永住権を取得しバンクーバーに移住。同時に小説家としてデビュー。リアルに起こり得るサイバー犯罪をテーマにした小説とネット世論操作に関する著作や評論を多数発表している。『原発サイバートラップ』(集英社)『天才ハッカー安部響子と五分間の相棒』(集英社)『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』(角川新書)『ネット世論操作とデジタル影響工作』(共著、原書房)など著作多数。X(旧ツイッター)。明治大学サイバーセキュリティ研究所客員研究員。新領域安全保障研究所。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

-日産、11日の取締役会で内田社長の退任案を協議=

ビジネス

デフレ判断指標プラス「明るい兆し」、金融政策日銀に

ビジネス

FRB、夏まで忍耐必要も 米経済に不透明感=アトラ

ワールド

トルコ、ウクライナで平和維持活動なら貢献可能=国防
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 5
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 6
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story