コラム

日本人が知らない、社会問題を笑い飛ばすサウジの過激番組『ターシュ・マー・ターシュ』

2021年06月02日(水)17時20分

番組自体はドタバタ喜劇であったが、番組関係者(俳優・演出家・作家)たちが笑い飛ばそうとしたのはサウジアラビアの既存の社会が抱えるさまざまな矛盾点であった。そのため、既存の価値観を守り、拘泥し、そこにみずからの生きる意味を求めている階層にとっては『ターシュ・マー・ターシュ』は危険であり、自分たちの存立基盤を脅かすものにも見えたにちがいない。

笑いの標的になったのは、女性問題であり、部族問題であり、官僚制度であり、さらには宗教問題である。

たとえば、サウジアラビアでは2018年まで女性は車の運転が許されなかった。サウジアラビアは完全な車社会であり、どこにいくにも車は必需品である。その重要な移動の手段と権利をサウジアラビアに住む女性たちは長年奪われていたわけだ。

当然、この問題も『ターシュ・マー・ターシュ』で槍玉に挙げられる。もちろん、ある程度の家庭であれば、運転手を雇うこともできるが、それ自体、女性は家族以外の男性と同じ場所にいることが許されないというイスラームの戒律に抵触するはずだが、番組で俎上に載せられたのは、男性にとってより切実な問題である。

妻のために雇った外国人ドライバーが休暇でいなくなる。すると、夫が、買い物やら何やらで妻をどこかに連れていったり、子どもの学校の送り迎えをしたりするなど、自分の仕事を犠牲にして、すべてこなさねばならなくなり、右往左往するといったぐあいだ。

また、とある国の話として、そこでは女性にはロバに乗る権利があるが、それだと女性が男性から丸見えになってしまうので、地下に女性専用のトンネルを作ろうとしたり、そのロバの背に箱を乗せて女性はそのなかに入って移動するようにしたりするといった議論をして、結局町に壁を作って女性だけが住む地区と男性だけが住む地区に分割する、というのもあった。

さらに、テロ組織のアルカイダや「イスラーム国」を支持するような過激主義者の問題も同様である。

この種のテーマで一番有名になったのが、「テロリズム・アカデミー」という回であろう。主人公は間抜けなテロリストで、米国大使館を爆破しようとしにいくが、道がわからず迷子になってしまう。テロ組織の幹部はこれではまずいというので、「テロリズム・アカデミー」というイベントを開催する。

「テロリズム・アカデミー」は、その昔、日本でやっていた『スター誕生!』のようなタレント・オーディション番組のテロリスト版である。いろいろな課題を経て、優勝者には、セクシーな衣装をきた女性から爆弾を装着した自爆テロ用のベルトを贈呈されるという内容となっている。

ちなみに、「アカデミー」というタイトルは、当時アラブ諸国で大人気の『スター・アカデミー』という番組のパロディーでもある。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

バイデン氏、建設労組の支持獲得 再選へ追い風

ビジネス

米耐久財コア受注、3月は0.2%増 第1四半期の設

ワールド

ロシア経済、悲観シナリオでは失速・ルーブル急落も=

ビジネス

ボーイング、7四半期ぶり減収 737事故の影響重し
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 2

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗衣氏への名誉棄損に対する賠償命令

  • 3

    マイナス金利の解除でも、円安が止まらない「当然」の理由...関係者も見落とした「冷徹な市場のルール」

  • 4

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 5

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 6

    ケイティ・ペリーの「尻がまる見え」ドレスに批判殺…

  • 7

    イランのイスラエル攻撃でアラブ諸国がまさかのイス…

  • 8

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    コロナ禍と東京五輪を挟んだ6年ぶりの訪問で、「新し…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 10

    ダイヤモンドバックスの試合中、自席の前を横切る子…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story