コラム

「映画禁止ではなかった」サウジ映画館解禁の伝えられない話

2018年04月27日(金)15時15分

日本・サウジ合作作品の「ロスト・イン・トランスレーション」

ちなみにサウジアラビアで映画館が解禁され、上映第一号作品となったのは米国製の『ブラックパンサー』であった。なぜ、この映画が選ばれたのかは、正直わからなかった。

もともと、サウジアラビアではマーベル作品は人気があり、昨年サウジではじめて開催されたコミコンでも、バットマンやスパイダーマンのコスプレが目立っていた(参考:コスプレは規制だらけ、サウジで初のコミコン開催)。サウジのメディアでは、この映画が単にエンターテインメント性ではなく、マーベル初のアフリカ系スーパーヒーローという点で、多文化性や異文化への寛容を訴えかけると評価していた。

まあ、そうかもしれないが、『ブラックパンサー』につぐ第二弾が『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』となると、たしかにこちらもいろいろな民族・文化に配慮した作りにはなっているが、やっぱりサウジの人口の過半数を占めるとされる30歳以下にウケそうなアクションと娯楽性が一番重視されたのかなとも思う。

首都に作られた映画館、革張りの座席に大理石のトイレといった豪華さも話題になっているが、運営は米国のAMCエンターテインメント社である。サウジアラビアで復活した映画産業では、コンテンツだけでなく、箱物でも米国企業は圧倒的優位に立っているのだ。

ソフトパワーは、アニメやマンガ、ゲームに代表されるように日本も得意とするところであるが、はたして日本製の映画がサウジアラビアで上映されるのはいつになることか。

なお、ほとんど知られていないが、1991年に『リトル・シンドバッド 小さな冒険者たち』という日本・サウジアラビア合作映画が日本で公開されている。サウジアラビアとの合作が謳われているものの、もちろんサウジアラビアで上映されることはなかった。

当時筆者はサウジアラビアに住んでいたのだが、苦労してビデオを入手したのを覚えている。評価については、サウジアラビアに住んだ経験のある人がみれば、おそらく何じゃこりゃというところであろう。

異文化を描くことの困難は今日でも同様である。テレビ用だが、5月には日本とサウジアラビアの合作アニメ『きこりと宝物』がテレビ東京で放送されるらしい。

これはアラビア半島の古い民話をベースにしたものなのだが、YouTubeの予告編をみると、「きこり」だけあって、斧で大きな木を切る場面が出てくる。昔のアラビア半島でそんなに簡単に木を切ったら、すぐに木がなくなってしまうと思うのだが、どうだろうか(18世紀後半に大きな木を切り倒す運動はあったけど)。

この「きこり」に相当するアラビア語は「ハッターブ al-Ḥaṭṭāb」である。そして「ハッターブ」には日本ですぐに思いつくような「きこり」だけでなく、「薪あつめ」という意味もある。砂漠やオアシスに落ちている灌木の枝を集め、ラクダやロバに積んで、燃料として町で売ってまわる商売だ(下記)。

hosaka180427-2.jpg

Ahmad Mustafa Abu-Hakima 1986. Eastern Arabia: Kuwait 1900-1936, vol.2, Hurtwood Press

アラビア半島の場合、個人的には後者のほうがイメージしやすいのだが、どうであろう。仮に「薪あつめ」が正しいなら、サウジ側が日本側に「ハッターブ」の語を伝える際に、その語が含意する歴史的・文化的背景が失われ、単純に「ハッターブ=きこり」という等式で結んでしまったことが誤解を生む原因になったといえる。いわゆる「ロスト・イン・トランスレーション」である。

さらにいえば、サウジ人がこの「ハッターブ」をみて違和感をもたないのであれば、サウジ人自身も急激な近代化のなかでみずからの歴史を忘れてしまったことになる。

もちろん、こちらの解釈がまちがっていることも十分ありうる。そうであれば、素直に作品を楽しんでみたい。

ニューズウィーク日本版 トランプショック
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年4月22日号(4月15日発売)は「トランプショック」特集。関税発表の直後に90日間の猶予を宣言。世界経済を揺さぶるトランプの真意は?

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエル、イラン核施設への限定的攻撃をなお検討=

ワールド

米最高裁、ベネズエラ移民の強制送還に一時停止を命令

ビジネス

アングル:保護政策で生産力と競争力低下、ブラジル自

ワールド

焦点:アサド氏逃亡劇の内幕、現金や機密情報を秘密裏
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプショック
特集:トランプショック
2025年4月22日号(4/15発売)

大規模関税発表の直後に90日間の猶予を宣言。世界経済を揺さぶるトランプの真意は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 2
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪肝に対する見方を変えてしまう新習慣とは
  • 3
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず出版すべき本である
  • 4
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 5
    トランプが「核保有国」北朝鮮に超音速爆撃機B1Bを展…
  • 6
    「2つの顔」を持つ白色矮星を新たに発見!磁場が作る…
  • 7
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 8
    ロシア軍高官の車を、ウクライナ自爆ドローンが急襲.…
  • 9
    ロシア軍が従来にない大規模攻撃を実施も、「精密爆…
  • 10
    ロシア軍、「大規模部隊による攻撃」に戦術転換...数…
  • 1
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜け毛の予防にも役立つ可能性【最新研究】
  • 2
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 3
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 4
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 5
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 6
    パニック発作の原因とは何か?...「あなたは病気では…
  • 7
    中国はアメリカとの貿易戦争に勝てない...理由はトラ…
  • 8
    動揺を見せない習近平...貿易戦争の準備ができている…
  • 9
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 10
    「世界で最も嫌われている国」ランキングを発表...日…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 3
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 4
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 5
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 6
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 9
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 10
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story