『シン・ウルトラマン』を見て的中した不安
2014年の東京国際映画祭に勢揃いしたウルトラ兄弟 Yuya Shino-REUTERS
<ウルトラマンのファンとしては感動ものだが、筆者は、『シン・ゴジラ』のように何度も何度も絶叫しながら見たいとは思えない>
話題沸騰中の『シン・ウルトラマン』を劇場公開初日(5/13)に見てきた。鑑賞前の最大の懸念点は、本作の監督が『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(前編)、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』(後編、いずれも2015年公開)を手がけた樋口真嗣氏であったことである。この『進撃の巨人』実写版については、興行成績が如実に示す通り、前編と比較して後編が圧倒的に劣後した。
つまり前編の評価が芳しくなく、後編の客足が鈍ってしまったのだ。この『進撃の巨人』実写版は、一部から『北京原人 Who are you?』(1997年)に並ぶ「アレ」な感じであるとの酷評もあった。脚本や俳優の活躍は良くとも、映画演出が極めて稚拙な場合、こういった評価点をも帳消しにする「ハプニング」は稀に見られる。
結論を言うと、本作『シン・ウルトラマン』は、『進撃の巨人』実写版に付きまとった、脚本や俳優の活躍を帳消しにする目立った映画的演出の致命的瑕疵は無く、原作『ウルトラマン』(1966-67年)に対して馴染みの薄いユーザーでも、概ね楽しめることができるようになっている。勿論、往年の『ウルトラマン』に愛着のあるユーザーならば、「そうきたか」「リスペクトが凄い」と唸らせる描写が全編にわたって頻出し、原作の素晴らしさを令和的にトレースしたという点においては、ウルトラマンのファンであればあるほど、何度も楽しめるという利点を持っているといえる。
「意欲作」ではあるが
しかしながら、「ファンであればあるほど楽しめる内容」というのは、諸刃の刃である。なぜなら、それは「原作のファンであることを前提にした描写は、原作のファン以外には伝わりづらい」という自明のテーゼを内包しているからだ。要するにそれを「内輪受け」と呼ぶ。例えば私は押井守先生の大ファンなので、『スカイ・クロラ』(2008年)を手放しに絶賛したが、所謂「押井ワールド」の洗礼を受けていない、予備知識を持たない観客がこの絶賛を見たときに、同意しかねる部分が多々あった「かも」しれない。
『ウルトラマン』について、大きな予備知識を持つファンは当然『シン・ウルトラマン』を絶賛する傾向が強い。絶賛するだけに足る緻密というべきオマージュが全編に亘って登場するのだから当然である。しかし、それに疎い観客が見たとき、つまり純然たる一個の映画としてみたとき、本作を「傑作」と評するには及ばない映画的演出の瑕疵は、致命的とは言わないまでも観客に少なくないしこりとして引っかかったのでは無いか。結論として私は、『シン・ウルトラマン』を「努力作」「意欲作」という風に評せざるを得ない。残念だが「傑作」とは呼べない。『シン・ゴジラ』と違って、二回以上、何度も何度も絶叫しながら見たいとは思わない。
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