コラム

裏切りと因縁と偽パスポート

2010年02月24日(水)11時30分

 11年前、スペインを旅行中にパスポートと現金を盗まれたことがある。帰国できるのか気が気でなかったが5日ほどで無事に再発行を受け、旅行を続けることができた。

 そんな事件もすっかり忘れていた2年後の真夜中、メキシコ入国管理局からの電話で起こされた。私のパスポートで不法入国しようとした中国人が逮捕されたという。パスポートが「有効活用」されていたことに驚いたが、私の名前を語る別人が、私のパスポートで違法行為をしようとしていたことを考えると、気味が悪かった。

 今、イギリスを騒がせている偽造パスポート事件はもっとずっと深刻だ。1月19日、ドバイでパレスチナ過激派ハマスの幹部が暗殺されたが、犯行グループとされる11人がイギリスやアイルランドなどの偽のパスポートを所持していた。パスポート記載の名前と一致する正真正銘の本人はちゃんと実在していて、彼らはなぜ自分の個人情報が盗まれたのか分からないとメディアに語っているという(関連記事「ハマス暗殺事件にキレるイギリス」)。
 
 個人情報を盗み、ハマス幹部を暗殺した一連の事件には、イスラエルの情報機関モサドが関与しているのではないかと言われている。国民から怒りの声が挙がるイギリスは、18日に駐英イスラエル大使と面会。当然ながら、イスラエル側は疑惑を否定している。

 英BBCによれば、この事件はイスラエル建国以来続くイギリスとイスラエルの複雑な関係に新たに発生した障害だという。確かに、この2国間には長く暗い因縁の歴史があるようだ。

 第一次世界大戦中の1917年、イギリスのバルフォア外相がバルフォア宣言でシオニズム運動への賛意を表明した。ところがイギリスはその2年前、1915年にはアラブ人の独立を承認するフサイン・マクマホン協定を結んでいた。つまり、ユダヤ人がパレスチナに居住地を建設することを支持しながら、同時にアラブ人にも市民権を認めた形だ。

 39年、イスラエルとアラブ人の代表者で和平会談が行われたが、このときイギリスはパレスチナ独立国家を約束し、バルフォア宣言を白紙撤回する内容の白書を提出。イスラエルはこれを裏切りととらえ、両国の関係にしこりを残す。48年にイスラエル共和国が誕生すると、即座に承認したアメリカに比べ、イギリスは8カ月後にやっと承認した。

 イギリスは以前、イスラエルのモサドにパスポートを盗用された過去がある。87年、モサドが秘密作戦の際にイギリスの偽造パスポートを使っていたことが発覚し、当時のマーガレット・サッチャー首相はロンドンのモサド事務所を閉鎖させた。イスラエルは二度とイギリスの偽造旅券を使わない、と約束した。

 今回の事件について、イスラエルのメディアの報じ方は両極端だ。「イギリス政府などは不愉快だろうが、宿敵が暗殺されたことは喜ばしい」(イディオト・アハロノト紙)との報道もあれば、「欧州の友好国との関係を損ねるほどの正当性はあるのだろうか」(ハーレツ紙)とする論調もある。

 近年は覆い隠されていた互いの国への複雑な感情が、この事件で表面化したのかもしれない。イギリスとイスラエルの関係は、今後少なからずぎくしゃくすることだろう。だが個人情報を盗まれたパスポートの持ち主たちは何より、真相の解明を願っているに違いない。

――編集部・高木由美子

このブログの他の記事も読む

 キャメロン監督が描く「ヒロシマ」とは

 カラチ・コネクション

 バンクーバー五輪の環境「銅メダル」は本物か

プロフィール

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ユーロ相場が安定し経済に悪影響与えないよう望む=E

ビジネス

米製薬メルク、肺疾患治療薬の英ベローナを買収 10

ワールド

トランプ氏のモスクワ爆撃発言報道、ロシア大統領府「

ワールド

ロシアが無人機728機でウクライナ攻撃、米の兵器追
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 3
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 4
    「ヒラリーに似すぎ」なトランプ像...ディズニー・ワ…
  • 5
    犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事…
  • 6
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 7
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 8
    自由都市・香港から抗議の声が消えた...入港した中国…
  • 9
    人種から体型、言語まで...実は『ハリー・ポッター』…
  • 10
    【クイズ】 現存する「世界最古の教育機関」はどれ?
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 3
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸せ映像に「それどころじゃない光景」が映り込んでしまう
  • 4
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 7
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 8
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 9
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 10
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 4
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 5
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 6
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 7
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 8
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 9
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 10
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story