中国による台湾言論界の弾圧が始まった
八旗出版編集長の富察氏(中央) 八旗出版のフェイスブックから
<台北の出版社の編集長を務める満州人男性が3月、訪問先の上海で中国当局に拘束された。中国中心史観に異議を唱える書籍の出版を続けてきたことが、「罪」とされたと考えられている。香港に続いて台湾が陥落したら、次は日本だ>
台湾をはじめ、世界の中国語圏の人々の歴史観を根本から変えた人物が3月、中国・上海で治安当局に拘束された。台北にある八旗文化出版の編集長、富察(フーチャー)である。
八旗出版との名称が示すように、富察は遼寧省出身の満洲人だ。中国の大学で博士の学位を取った後、出版編集の仕事をしていた頃に台湾人女性と出会い、結婚した。その後、2009年に台北に渡り、自由と人権の理念で緩やかに結束していた、複数の小さな出版団体でつくるを「読書共和国」という団体に加わる。そこでの経験を活かして設立したのが八旗出版で、社名は満洲八旗という歴史上の遊牧軍事組織に由来する。
八旗出版はアメリカの歴史学者、特にいわゆる「新清史」の学者たちの著作を系統的に翻訳・出版した。現代中国は狭隘な「大漢民族」の民族主義的立場から、満洲人の王朝である清朝の負の側面を強調してきた。いわく、満洲人による長城以南への進攻は「異族入侵」で、文明的な中国に停滞をもたらした。近代に入ると西洋列強の侵略を招き、アヘン戦争など敗北により屈辱の百年を経験した。約300年にわたる満洲人の統治も、結局は文明人である漢民族の文化力に同化された。漢民族が長城以北に侵入するのは正義に基づく国土開拓だ......との立場である。
これに対し、新清史は異なる見方をする。
満洲人はたとえ支配者の一部が母語を忘れたとしても、最後まで民族のアイデンティティーを放棄しなかった。西はトルキスタン、北はモンゴリア、南は雲南まで、すべて現地の文化と民族的自治を優先する柔軟な統治を敷いた。近代になって西洋列強と出会ってからも、日本などを参考に改革に踏み切った、との観点である。
これは清朝時代を圧政と見なし、満洲人皇帝の存在を「夷狄による過酷な支配」と強調する中国の歴史観に大きく抵触する。八旗出版がこうした著作を世に送り出したことで、官製史観を支持する中国の人々に激震が走り、彼らは2019年から組織的な反撃を開始していた。
八旗出版は大陸だけでなく、台湾にも斬新な視点をもたらした。新清史をはじめとする一連の書籍が出るまで、台湾史学界は台湾を対岸の中国あるいは旧宗主国の日本とだけ結び付けて考えていた。中国や日本だけでなく、スペインやオランダ、アメリカや東南アジアとの歴史的関係、ひいては南洋諸島との人的交流も大事ではないか、と指摘する著作を八旗出版は相次いで刊行した。「世界の孤児」と揶揄されていた台湾はこうした書籍の出版により、着実に「世界の台湾」になったのである。
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