日本の相撲は「国技で神事で品格あり」?
神に頼って勝ちたいし、勝って神を喜ばせたい──。それが興行=スポーツの目的なのだ。何も大相撲だけが神事で、他のスポーツより一段と神聖なわけではない。
しきたりにとらわれない女性客
最後は「品格」の問題だ。近代に入って、興行がスポーツにつくり替えられたときから、選手は「国民の模範」と位置付けられた。国民もまた「優秀なスポーツ選手」のように体を強健にし、国家のために奉仕しなければならないという政治的神話だ。ただ、果たして国民全体の模範を務められるスポーツ選手などどれほどいるのだろうか。
そもそも品格という言葉自体が、90年代にバブルが崩壊し経済が停滞するなかで、日本人が進むべき方向を見失った頃からはやり出したものではないか。「女性の品格」どころか、「国家の品格」までもが問われるようになった。
こうした流行は女性の社会進出が進み、古い縛りが意味を持たなくなったときに男性から発せられた「保守の声」ではないのか。「国家の品格」もまた、欧米化を極端に進めた結果を反省しようと出現した思想にすぎない。
相撲で気になるのは、「力士が『国技』『神事』の本質が分かっていないので、品格に問題がある」という見方だ。こうした品格論を否定する必要はないが、それが「日本人だけは特別」「日本人のみが優れている」のような発言になると、それこそがナショナリズムの土壌になっているのではないか、と懸念したくなる。
いわゆる「品格ある女性」も、男性の理想像でしかない。今やそんな理想にとらわれず、古いしきたりに縛られない女性のほうが力士の品格など気にせず、楽しく相撲を観戦している。
日本で相撲を取れば成功する、というジャパンドリームは世界に広がっている。モンゴルから始まり、琴欧洲と把瑠都の故郷ヨーロッパ、そして栃ノ心の母国は中央ユーラシアのジョージア(グルジア)。まさに東西を超えて日本の相撲界が注目されている。ただし誰も日本風の神事に従事し、日本風の品格を実践したいからではない。皆、日本の宗教信仰に敬意を払い、日本の礼儀正しさを称賛しながら、スポーツを楽しみ、豊かになりたいだけだ。
どうすれば、「相撲ナショナリズム」が収まるのだろうか。「日本人力士が強くならないといけないだろう」と、先日会ったモンゴルのある遊牧民が話していた。品格ある日本人男性には耳が痛いかもしれないが、これこそが相撲に求められていることだろう。
<本誌2018年5月15日号【特集:「日本すごい」に異議あり!】から転載>
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