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日本学術会議問題を「総合的俯瞰的に」考察して浮かび上がった、菅総理の驕り
カウンターデモクラシーは選挙以外の手段で社会の声を政治に伝える仕組みだ。具体的には街頭のデモ、政治的発信をする市民組織、批判的なメディア等がそうだ。
例えば2020年5月の検察庁検察官定年延長問題において、3日間で500万リツイートを集めた「#検察庁法改正案に抗議します」に参加するのもカウンターデモクラシーの一つだ。現に、その「ある種の民意」の力が、「国民の声を十分に聞くことが大事だ」(安倍首相当時)と検察庁法改正案の今国会成立を見送りに繋がった。
(当時安倍総理は「黒川さんと2人で会ったことはないし、個人的な話をしたことも全くない」と関係性を否定しており首相周辺は批判の強い改正法案は不要との考えだったと言われるが、首相よりも菅氏が強く検察への人事介入にこだわったと見られている。)
但し、選挙に出なくとも健全な民主主義への参画は可能であり、国民の多くが選挙には白けているが、ネット上での政治的主張には熱心だったりする。
橋下氏が以前、批判を繰り返すコメンテーターや学者に、「そんな事言うなら、あなたが選挙にでなさいよ。被選挙権はあるのだから」と逆ギレしていたことがよくあった。被選挙権の行使は、民主主義の王道だ (事実2016年にはトランプ大統領の誕生に危機感を覚えた女性マイノリティ候補者が多く選挙に出馬し当選した) 。
橋下氏も菅氏も、最近の政治家は、その普通選挙の結果のみを民意として、正当性を主張しすぎる傾向があるような気がする。選挙の洗礼を受けた政治家が、強い人事権を持って官僚を動かし、マスコミの報道姿勢にも介入する。世襲の政治家よりも、苦しい選挙戦を勝ち抜いてきた叩き上げの政治家ほど、マスコミ、学者、デモ等のカウンターデモクラシーに対する嫌悪感は強いのかもしれない。事実、成り上がりトランプ大統領も、BLM(Black Lives Matter)などのデモを暴動と嫌悪し、国軍を持ってしてでも制圧しようと計画するほどカウンターデモクラシーに対する嫌悪は強かった。
これはこれからのインフォデミック社会の政治家の一つの態度の大きな特徴かもしれない。
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まとめ
日本学術会議問題は、小さな行政組織の少人数の問題だ。ただ、構造を俯瞰的にみるだけで多くの論点がみられる。改めてここに整理すると、
論点1)この問題には「政治家」と「学者」との本質的な立場の違いの対立構造がある
論点2)更に加えて、戦後日本の「普通の国」と「特別の国」の対立構造がある
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