南米街角クラブ
ブラジル大統領選直前、私の身の周りに起こった出来事
ブラジル大統領選まで一週間を切った。
大統領選は4年に一度、ワールドカップと同じ年にやってくる。ブラジルが揺れる1年だ。
街中では露天商たちが立候補者の現職ボウソナロと元大統領ルーラの顔写真入りタオルを売っている。
とある露天商がタオルの売上を支持率としてボードに書き「ボウソナロのタオルが売れてないから買ってよ」とボウソナロ支持者の購買意欲を掻き立てる動画はインターネット上で話題になった。
2018年に極右ボウソナロ大統領が誕生してから4年。
ボウソナロ政権の支持率は、コロナウイルス感染による犠牲者が増える中、大統領がワクチンの効果と購入を否定した頃から下がっていく一方だった。
アンチ・ボウソナロは増え続け、今回の大統領選で完全に優勢となっているのは左派労働者党の前大統領ルーラである。ボウソナロの再選は難しいだろう。
しかし、既に日本のニュースで報道されている通り、ボウソナロは自らが2018年に当選した際にも使用された電子投票の信ぴょう性を疑う発言を繰り返し、大統領支持者たちは「クーデターを起こす」とまで表明している。その様子はトランプ支持者と比較されることが多い。
|2人のUber運転手
ここ数ヶ月の間、2つの興味深い場面に遭遇した。
どちらも私ひとりでUber(タクシー配車アプリ)を使った時のことだ。
私が住んでいる街では日本人が比較的珍しいのか、車に乗るとすぐに「どこの出身か?」と聞かれる。
「日本です」「そうですか。どれぐらいブラジルに住んでるの?あなたの家族は日本に住んでるの?」と、いつも同じやりとりだ。
この運転手は定年退職後、趣味でUberの運転手をしているらしい。
いつもどおり世間話をしていたら、「日本は汚職なんてないでしょう?日本人は世界一規律正しい人間だよね」と言われ、私は「そんなことないですよ。この間の東京オリンピックだって」と言いかけたが、私の話をさえぎるように強い口調で話し始めた。
「ブラジルは良い国。資源に恵まれているし、気候も良い。地震も台風もない。でも政治がダメ。労働者党はずっと汚職続きだった。ボウソナロになって良かったよ。ボウソナロは過激発言が多いなんて言われているけど、言いたいことを言える誠実な人でしょう。何より汚職がないでしょう。ルーラは泥棒。そんな人が当選したらまた我々の税金が勝手に使われるだけ。それにLGBT+に賛同して経済的に何か良い事が起こるわけ?」
私は自分の意見を言わず、目的地まで一方的に話を聞き続けた。
別の日、またUberで別の運転手と世間話が始まった。
この運転手は北部の出身で、20年前に家族でこちらに引っ越してきた男性だった。くだらない話から突然「ブラジルの政治はダメだ」と、やはり政治の話になった。
そして私の顔色を伺いながら会話を続け、言っても大丈夫だと思ったのだろう。ついにこんな事を口にした。
「ボウソナロは貧乏人が嫌いなんだ。金持ちばっかり得になるような政策ばかり」
確かに、貧困層を重視するルーラに比べ、ボウソナロの政策は経済優先。一部の人が得をするようなものが多かった。また、文化や教育、女性の社会進出やLGBT+など人権に関する関心も低い。
「次の大統領選、俺はルーラに入れるよ。労働者党を支持したことは一度もない。でもルーラが大統領だった頃は、俺らも週末シュハスコ(バーベキュー)する余裕があった。今は肉なんて毎週買えないよ
ここで言う「俺ら」と言うのは、おそらく彼と同じような生活環境の人々、ブラジルでいう下位中産階級の人々や、貧困層を言っているのだろう。
ブラジル地理統計院が定めた世帯月収による社会階層をみると、クラスD、Eが過半数を占めている。クラスD、Eの世帯月収は2,900レアル未満。地域によって生活費は異なるが、殆どの家庭に余裕がなく、明日食べるものすら確保できない家庭も含まれている。もちろん、贅沢品は分割払いでも購入が困難である。
ボウソナロはパンデミック時に最も被害を受けたこのクラスの人々の支持率を落とした。
福音派の友人から聞いたのだが、2018年にボウソナロの有力支持者となった福音派の信者たちも、貧困に耐えられずルーラに投票すると言う人が増えているそうだ。
運転手は続けてこう言った。
「もしルーラが当選したら、また汚職が起こるだろうね。でも俺はみんなの生活が良くなればそれで良い」
この発言は衝撃的だった。
ルーラ再当選に希望を抱いているのかと思っていたが、実際はそういうわけでもなさそうだ。
未来のことよりも、まずは明日のことが心配な人たちが沢山いる。
|緊迫する街中
このように、日本と比べるとブラジルの人たちは普段から躊躇せず政治の話をする。
Uberの運転手に限らず、ちょっと世間話が盛り上がると話題がそちらに向いていくことは珍しくない。
しかし、ボウソナロとルーラの二極化が激しくなってから、政治思想をめぐって見知らぬ人同士が暴力沙汰になる事件が相次いでいる。前述した顔入りタオルも、対立候補者のタオルを雑巾として使ったり、火を付けたりする動画が問題となっている。
各メディアの事前調査員が殴られたり、候補者や政党のステッカーが貼られた車が破壊されたりするだけでなく、支持する政党を聞かれて答えたら怒鳴られるなんてこともあるようだ。殺人事件も起こっていることを忘れてはならない。
私もついに、先日ショッピングセンターのフードコートで「あなた誰に投票するの?」と見知らぬ人に聞かれた。
女性は家族連れだったが、私は外国籍のため選挙権がないことを言うと過ぎ去っていった。
今日も昼食を食べていたレストランで、「ボウソナロこそ我らの大統領だ!」と中年男性が他の客に話かけており、場合によっては一触即発が起きそうな雰囲気だった。
ダータ・フォーリャによる調査では国民の約3分の2が政治的理由によって何らかの暴力を受けることを懸念している。
|SNS上の政治思想
政治思想をめぐって、SNS上で見知らぬ人と衝突を起こすケースもある。
普段から躊躇なく政治の話をする私の友人たちも、2018年の大統領選挙は辛かったと振り返る。
特にフェイスブックでは連日のようにフェイスニュースが飛び交い、そこに多くのコメントが寄せられる。対立も相次ぎ、大統領選がきっかけで「友達」を辞めたという人もいる。
しかし、同じ思想を持つ仲間を集めるにはSNSは画期的だった。
今回の選挙運動も、フェイスブックだけでなくYouTube、インスタグラム、TikTokまでも最大限に有効活用されている。
また、日本のLINEのようなテキストメッセージアプリであるワッツアップやテレグラムもよく使われている。特にボウソナロ支持者はこの「グループ機能」を最大限に活かし、支持者を囲い込んでいるようだ。
一方でルーラ支持者は有名アーティストたちによるSNS拡散が目立つ。
世界的に活躍するアニッタやパブロ・ヴィタール、ブラジル音楽界の重鎮シコ・ブアルキ、カエターノ・ヴェローゾ、ミルトン・ナシメントなどがルーラを支持する動画を公開。
銃の所有を推進するボウソナロに対抗し、親指と人差し指を銃と見立てた右手をひっくり返してルーラの頭文字「L」を作るパフォーマンスを行っている。
日本では知られていないが国内の超有名人たちが参加したこの動画「Vira voto」はSNS大好きのブラジル人たちに大きく注目されているだろう。
|アーティストたちの政治思想
このようにアーティストや著名人が政治思想を公開するのには賛否両論がある。
最近のフェスティバルやコンサートでボウソナロ大統領を否定するコールが起こるのは当たり前。多くの場合、アーティストが率先して行っている。
先日もTikTok効果で人気歌手となったジョアン・ゴメスがロックインリオにて大統領を否定する発言をした。
ジョアンは20歳と若く、田舎出身の謙虚な青年という世間のイメージから予想以上のバッシングを浴び、「見損なった」「フォローやめる」などとボウソナロ派のファンたちから否定的なコメントが寄せられた。
ジョアンは後日「失礼なことをした」と謝罪を行ったが、アーティストたちも一人のブラジル国民だから政治思想があって当たり前だという意見も多かった。
私自身、アーティストの政治思想は自由であるべきだと考える。
しかし、今のブラジルの状況では作品に辿り着く前に「ボウソナロ派」か「ルーラ派」か、と検索をする人も少なくない。
何より「自分が好きなアーティストが支持しているから」という理由で投票先を決めてしまうリスクもあるため、公表の仕方や発言に関しては難しい課題だと思う。
|ブラジル国旗は誰のもの?
最新の事前調査ではルーラが48パーセント、ボウソナロが31パーセント。
大統領選は10月2日に開催され、過半数以上の票を獲得した候補者が当選、過半数に達しない場合は10月30日に上位2名の候補者による二回目の選挙が行われる。
今、ルーラは中道左派のシロ・ゴメス候補支持者の票を獲得できるよう全力を注いでいる。ボウソナロは「事前調査はでっちあげだ」と相変わらずの様子だが、ここにきて少し勢いが衰えているようにも感じる。
と書いた矢先、休憩がてらに散歩に出たら、ボウソナロ支持者たちがセレソン(サッカーブラジル代表)の黄色いユニフォームを着てブラジル国旗を振っていた。黄色と緑、ブラジル国旗はいつの間にかボウソナロ派のシンボルとなっている。
ルーラは選挙演説で
「先日、カトリック大学を訪問した際、学長の息子さんに『今年のワールドカップでは、黄色と緑のセレソンのユニフォームを着れるでしょうか?』と聞かれました。彼はセレソンのユニフォームを着るとボウソナロ支持者と見られることを心配していました。だから私はこの国旗を手にして言います。私たちはブラジル国旗を取り戻さなければなりません。ブラジル国旗はブラジルを愛するブラジル人のものです」と大きく叫んだ。
私も、これに関してはルーラの意見に納得である。
国旗は政党を表すものではなく、国民全員のものであることに間違いはない。
果たしてセレソンのユニフォームを着て、ブラジル国旗片手にワールドカップを楽しめる日がやってくるだろうか。
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada