England Swings!
天皇陛下も暮らした伝統の町オックスフォードと学生たち
彼らを見ていてもうひとつ気になったのは、ガウン、つまりオックスフォードの学生が伝統的に身につける黒い上着だった。儀式やホール(後述)での食事などに着るそうで、これを着た学生たちを何度も見かけた。専攻や学内の地位によって形が変わるそうで、中でも目を引いたのが、「着物の羽織の袖が破けたようにぴろぴろしている上着」風のものだった。変な例えだけれど、他にうまく説明ができない。若い彼らが勢いよく歩くと、このぴろぴろした袖が風にはためく。大真面目な伝統なのに、ちょっと滑稽な眺めだ。
そういえば、1990年代のベストセラー『イギリスはおいしい』の著者である林望さんも、ガウンを買いに行った経験を独特のユーモアたっぷりにどこかに書いていらした。林さんがオックスフォードとケンブリッジで研究された80年代の頃から、いや、もしかしたらはるか昔から、オックスフォードの学生生活はあまり変わっていないのかもしれない。
ロンドンに戻ってから、日本の友人にオックスフォードの話をしたら、『テムズとともに−−英国留学の二年間』(2023年、紀伊国屋書店)という本のことを教えてくれた。著者は当時の徳仁親王、つまり今上天皇で、皇太子になる前の1983年から1985年までをオックスフォードのマートン・コレッジで過ごされた留学記だ。平成5年に刊行された後、入手困難になっていたものが今年になって新装復刊された。
タイミングがよかったので電子書籍ですぐに読んでみたら、これがとても面白かった!
清々しい文体で学生としての経験が丁寧に綴られていて、その内容の詳しさに驚いた(食事のメニューまで書かれていることも)。勉強として英語で日記をつけた時期もあったそうだし、写真もご趣味ということで、手元の資料が豊富だったのかもしれない。わたしの初めての渡英も1985年と陛下の留学と同じ頃だったので、英国生活の感想を読んでは、「この時代はシャワーのないバスタブ、多かったな」「途中でお湯が出なくなるんだった」と、懐かしく思い出した。そのせいか、陛下のコレッジ生活もしっかり追体験できた気がする(プリンスのバスルームには、大きい給湯器やシャワーを取り付けてあげてほしかったけれど)。
意外だったのは、交代で2人の警護官がついていたとはいえ、ご本人の好奇心や周りの協力もあって、想像以上に普通の学生生活を送っていらしたことだ。研究活動はもちろん、学生のパーティーに参加したり、アイロンをかけたり、部屋が寒くて追加のヒーターを買ったり。楽しかっただろうな。図書館で傘を盗られるなんて、陛下風に言えば、かなり「貴重な」ご経験だっただろう。
とはいえ、特別な方としてのエピソードもやはり興味深い。当時20代半ばの陛下がオックスフォード生活で生まれて初めて銀行に行ったり、クレジットカードを使ったりしたと聞いて、庶民としては驚くけれど、ご自身で「今後まず縁がないだろう」と書かれている通りなのだろう。自分の暮らしとあまりにかけ離れていて、思いつきもしなかった。身分を明かして特別扱いされるのは「とんでもないこと」という言葉からは、留学への覚悟の固さがのぞいていた。
著者プロフィール
- ラッシャー貴子
ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。
ブログ:ロンドン 2人暮らし
Twitter:@lonlonsmile