コラム

英王室から逃れたヘンリー王子の回想録は、まるで怖いおとぎ話

2023年01月14日(土)15時30分

結婚相手も仕事(収入がある仕事に就くことは許されないので、チャリティーのみ)も自分で選択することができず、王室の長である女王の許可を得なければならない。それはheirでも同じなのだが、彼らはいつか支配者になるという未来がある。でも、spareはheirに子供が生まれた瞬間にspareとしての価値も失う。収入など気にせずに無責任に生きられる立場を羨む人もいるだろう。なぜそれで満足できないのかと。しかし、人には「生きがい」や「生まれてきたことの意義」が必要なものだ。ヘンリーが回想録に書いているように「スキーのインストラクターになりたい」といった小さな望みすら叶えることはできない立場で、健全な人生を生きることができる人はどれだけいるだろう? 少なくとも私には無理だ。

ガールフレンドを作ることも容易ではない。どの女性も、タブロイド紙が過去を暴き出して誇張し、24時間パパラッチに追いかけられる状況に耐えられずにヘンリーを去った。おとぎ話とは異なり、プリンスと結婚したい女性はそういないのだ。その状況がようやく変わったのが、メーガン・マークルとの出会いである。出会いから結婚、そしてタブロイド紙からの執拗な攻撃とそれに影響された人々からの脅迫、その状況下でのメーガンの自殺念慮など、心身の危機が原因で王室を去る決断が書かれているのがパート3だ。

1981年の夏休みにロンドンに短期語学留学をした私は、ダイアナとチャールズの結婚式を見るために早朝からバッキンガム宮殿に行った。遠くから見ただけだが、私と同年代のダイアナ妃のその後はそれとなくずっと気になっていた。

まるでおとぎ話の世界

ダイアナを殺したのはタブロイド紙だとずっと思っていたのだが、ヘンリー王子の『SPARE』を読んでいて、「これは、40年以上かけて演じられている古典的なおとぎ話ではないか!」と思いついた。つまり、シンデレラや白雪姫のパターンである。

チャールズが本当に結婚したかったのはカミラだが、エリザベス女王が断固として認めなかったために諦めたというのはよく知られている逸話だ。普通ならそこで終わるのだが、カミラは他の男性と結婚してもチャールズとの関係を諦めることはなかった。その間にもカミラはダイアナに近づいて心理的操作をしたという噂もあるが、それが真実かどうかは分からない。英王室についての噂の大部分は信頼できないということを忘れてはならないだろう。だが、ヘンリーが書いているように、メーガン妃を執拗に叩くタブロイド紙にリークしたのがカミラであるというのは、かなり信憑性がある。カミラは、メイフェアでのプライベートなランチで、メーガン妃を最もよく攻撃しているゴシップ・ジャーナリストのピアース・モーガンとジェレミー・クラークソンの2人と同席していたことが明らかになったからだ。しかも、その2日後に、ジェレミー・クラークソンはメーガンについて下記のような「おぞましい」としか言いようのないコラムを書いたのである(訳したくないほどひどいので、興味がある人は自動翻訳を使っていただきたい)。

「At night, I'm unable to sleep as I lie there, grinding my teeth and dreaming of the day when she is made to parade naked through the streets of every town in Britain while the crowds chant 'Shame!' and throw lumps of excrement at her.」

このようにタブロイド紙はメーガンへの嫌悪感や怒りをかきたてるような記事を書き続け、それによる脅迫が増えて追い詰められたヘンリーは、父のチャールズを通じて「王室」に助けを求めた。しかし、チャールズは援助を与るどころか息子夫婦を切り捨て、カミラは懇意にしているタブロイド紙に悪意があるリークをし続けた。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲うウクライナの猛攻シーン 「ATACMSを使用」と情報筋
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 6
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 7
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 8
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさ…
  • 9
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 10
    雪の中、服を脱ぎ捨て、丸見えに...ブラジルの歌姫、…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    大麻は脳にどのような影響を及ぼすのか...? 高濃度の…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story