コラム

トランプ政権下で起きている児童書の変化

2018年06月12日(火)17時00分

グラフィック・ノベル『Illegal』の作者オーエン・コルファー Yukari Watanabe/NEWSWEEK JAPAN

<移民、黒人、女性、性的マイノリティなどへの差別が表層化したことで、社会問題への若者の意識が高まっている>

毎年5月末ごろの3日間、アメリカ最大のブックフェアである「ブックエキスポ・アメリカ(Book Expo America, BEA)」が開催される。これは版権やライセンスの取引が中心の国際見本市であるフランクフルトやロンドンのブックフェアとは異なり、おもに出版社が図書館や書店の関係者を対象に発売予定の新刊をPRするイベントである。このイベントに毎年参加すれば、アメリカ出版業界のトレンドの変化が肌感覚でわかる。

たとえば、近年のYA(ヤングアダルト)部門の台頭だ。ヤングアダルトは、主に高校生のティーンを対象にしたジャンルのことだ。

2000年代前半までのBEA では、出版社はビジネス書や自己啓発本を含むノンフィクション、文芸書のPRに力を入れていた。だが、経済が下向きになり、出版不況の影響でBEAの効果が少ないと判断したビジネス書専門の出版社がブースを縮小するようになった。そのさなかにも勢いがあったのは『ハリー・ポッター』シリーズが刺激した児童書ファンタジーのジャンルだった。

そこに加わったスターがバンパイアの少年と普通の女子高生の恋愛を描いたYAファンタジーの『トワイライト』だった。2005年に初版が出版されたこのシリーズは、最初は口コミで広まっただけだが、2008年に映画化されてさらに読者層を広げた。2008年と2009年だけで全世界で5500万部、現在までにシリーズ総計で1億部以上が売れたという。

『トワイライト』の登場は、アメリカの出版業界に大きな影響を与えた。バンパイアや狼人間が登場する「パラノーマル・ファンタジー」というサブジャンルは以前から存在したが、大手出版社からは軽視されていた。だが、『トワイライト』でこのジャンルを知った読者が同様の本を求めるようになり、パラノーマル・ファンタジーのブームが到来した。さらに、『トワイライト』はティーン対象のYAファンタジーを大人の読者にまで広げた。

この時期からBEAのサイン会で、YAファンタジーの作家の列が最も長くなるのが目立ってきた。BEAに参加する図書館員や書店のバイヤーの大部分が女性だが、彼女たち自身がYAファンタジーのファンになっていたのだ。

読者を直接知る図書館員や書店のバイヤーの言動は出版社にとって重要な指標である。YAファンタジーが売れ筋のジャンルだと悟った大手出版社は、専門の部署を作り、制作だけでなくマーケティングにも力を入れるようになった。「パラノーマル」のブームは去ったが、『ハンガー・ゲーム』や『ダイバージェント』の「ディストピア」ものがそれに取って代わった。その後も、「魔法」や「王国での内戦」といった新しいテーマが毎年発掘され、今年のBEAでもYAファンタジーの人気はまったく衰えていなかった。

YA部門のもうひとつの売れ筋は、家族や友人との関係、初恋などを描いた「青春小説」のサブジャンルだ。映画化もされた『さよならを待つふたりのために』の作者ジョン・グリーンはこのサブジャンルの代表的作家である。YouTubeで教育的なビデオを提供しているグリーンには長年の根強いファンがおり、彼と弟がファンのためのイベントをニューヨークのカーネギーホールで行ったときには瞬時にしてチケットが売り切れになった。

このサブジャンルにも最近大きな変化がみられる。かつては、この「青春小説」で扱われる恋は「少年と少女」のものだった。しかし、最近では同性愛だけでなく、gender fluid(性認識が流動的な人)も含めたLGBTQ+全般が取り扱われるようになっている。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

タイ、米関税で最大80億ドルの損失も=政府高官

ビジネス

午前の東京株式市場は小幅続伸、トランプ関税警戒し不

ワールド

ウィスコンシン州判事選、リベラル派が勝利 トランプ

ワールド

プーチン大統領と中国外相が会談、王氏「中ロ関係は拡
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story