コラム

ベトナム戦争の「不都合な歴史」を若者に伝える傑作ノンフィクション

2015年12月16日(水)16時15分

 すでに反戦運動が高まる大学のキャンパスを訪問してベトナム戦争の正当性を語ることまでしていたエルスバーグの考え方が変わり始めたのは、自ら訪問したベトナムでの体験と、当時恋におちた反戦派のパトリシア・マルクスの影響だった。

 エルスバーグが職場で読んだ機密書に綴られていたのは、代々の大統領が国民につき続けた嘘であり、彼がベトナムで目撃したのは、その嘘のために戦場でむごたらしい殺し合いを続けるベトナム人とアメリカ人の姿だった。

『Most Dangerous』は、ノンフィクションでありながらもスパイ小説のようにスリルたっぷりで、ベトナム戦争の残酷な描写では容赦なく、ロマンスの要素もあり、読者を最後まで飽きさせない。娯楽小説のように読ませながら、ベトナム戦争の背景とエルスバーグが政府の秘密文書を漏洩する経緯をしっかりと伝えているのは快挙だ。

 エルスバーグの体験をたどるうちに、読者も自然に「正義を貫く」ことの難しさや苦悩を感じることができるのだが、この小説はエルスバーグを「英雄」として扱うことでは終わっていない。周囲の人々を犠牲にして我を通すエゴイスティックな部分も描いており、年若い読者を見下さない著者の真摯さを感じる。

 また、エピローグの部分で著者は読者に難しい質問を投げかけている。「政府が機能するためには、情報の一部を秘密にする必要がある。しかし、機密保護はどこまでが過剰なのか? 政府の機密情報を市民が漏洩するのは正当化されるのか? そうだとしたら、それはどんな場合なのか?」と、2013年に起こった元CIA職員のエドワード・スノーデンの例をあげている。

 とはいえ、ベトナム戦争という過ちから学んだはずのアメリカ人は、ふたたびイラク戦争という過ちをおかした。私はスノーデンよりも、そこに触れて欲しかった。「戦争に負ける初めてのアメリカ大統領になりたくない」というモチベーションで戦争が続くことを、アメリカの10代はどう思うのだろうか?

 本書を読むと、国のトップが戦争を続ける理由の愚かさと、そのために犠牲になった人々の悲劇にあらためて胸が痛む。でも、私たちはアメリカだけを責めることはできないと思う。

 本書のように、「大統領や政府は嘘をつくものだ」という都合が悪い真実を語るティーン向けのノンフィクションが売れ、しかも全米図書賞の最終候補になるのもまたアメリカなのだ。自国の不都合な歴史をこれほどオープンに語ることができる国は、世界でもまだまだ稀だろう。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ECB理事会後のラガルド総裁発言要旨

ワールド

米、イラン作戦の目標変わらず=国防長官

ワールド

米財務長官、イラン原油への制裁解除を示唆 供給増で

ワールド

欧州主要国と日本、ホルムズ海峡安全確保やエネルギー
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:イラン革命防衛隊
特集:イラン革命防衛隊
2026年3月24日号(3/17発売)

イスラム神権国家を裏からコントロールする謎の軍隊の歴史と知られざる実力

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え時の装いが話題――「ファッション外交」に注目
  • 2
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期スペイン女王は空軍で訓練中、問われる「軍を知る君主」
  • 3
    韓国製ミサイル天弓-II、イラン戦争で96%迎撃の衝撃 ──「成功」が招く自国防衛の弱体化
  • 4
    第6回大会を終えて曲がり角に来たWBC
  • 5
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 6
    原油高騰よりも米国経済・米株市場の行方を左右する…
  • 7
    【衛星画像】イラン情勢緊迫、米強襲揚陸艦「トリポ…
  • 8
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する…
  • 9
    トランプ暴走の余波で加熱するW杯「ボイコット論」..…
  • 10
    アメリカはまた「壊した後」を考えていない...イラク…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期スペイン女王は空軍で訓練中、問われる「軍を知る君主」
  • 3
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が発生し既に死者も、感染源は「ナイトクラブ」
  • 4
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 5
    第6回大会を終えて曲がり角に来たWBC
  • 6
    【衛星画像】イラン情勢緊迫、米強襲揚陸艦「トリポ…
  • 7
    ズボンを穿き忘れてる! 米セレブ、下を穿かず「目の…
  • 8
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 9
    住宅建設予定地に眠っていた「大量の埋蔵金」...現在…
  • 10
    「ネタニヤフの指が6本」はなぜ死亡説につながったの…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 5
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 6
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 7
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 8
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 9
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 10
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story