コラム

『窓ぎわのトットちゃん』の楽園で、「徒歩の旅」の先人に出会う

2021年03月11日(木)15時30分

◆輝く日々を彷彿とさせる楽園

060.jpg

「安曇野ちひろ公園」では、オンシーズンならトモエ学園の電車の教室や講堂を模した施設の中にも入れるのだが、あいにく訪れた日はちひろ美術館とともに冬季休園中。外から眺めるだけとなった。でも、北アルプスが見下ろす「トットちゃん広場」が、春になれば楽園のようにキラキラと煌くのは、雪国の春を各地で経験したことのある自分にはよく分かる。

今回、『窓ぎわのトットちゃん』を読み返して強く感じたのは、このエッセイが、反戦文学としても非常によくできていることだ。中盤まではトットちゃんたちの楽しく優しい学園生活が生き生きと進行するが、戦争が進むにつれて暗い影が忍び寄り、ついには空襲によって校舎が全焼。地上の楽園は霧散してしまう。終わりの時のことは比較的淡々とした筆致で書かれているのだが、それがかえって強い喪失感を生む。

かつてこの日本にも夢のような学校があったことは、決して忘れてはならないと思う。実際にトモエ学園があった場所は、今はスーパーになっているという。その点、ここ松川村の「トットちゃん広場」には、まだ楽園めいた景色が広がっている。隣接する美術館のちひろの児童画と共に、この地を自由教育のメモワールの地としたのは、正解かもしれない。

065.jpg

◆国道脇の戦没者慰霊碑

072.jpg

ちひろの両親ら開拓農民が拓いた松川村の山麓の農地では、りんごやイチゴが栽培されている。直売所で売っていたイチゴは、これまで自分が食べた中で、最も甘い大粒のイチゴだった。昔はイチゴといえば酸味が強くて練乳や砂糖と牛乳をかけて専用の底が平らなスプーンで潰して食べたものだが、松川村のイチゴには酸味が一切なかった。ただただ甘いのだ。

076.jpg

極上のイチゴで疲れを癒やし、信州最後の市街地である大町市に向け、緩やかな上り斜面に広がる農地をひた歩く。やがて、仁科三湖がある山とその先の日本海の方向から、強い北風が吹きつけてきた。国道に復帰すると、ようやく大町の市街地が見えた。道路標識には「糸魚川85km」の文字。そして、大町の市街地に伸びる直線の途中に、戦没者慰霊碑があった。同じ「平和」と「戦争」について考えさせるメモワールでも、「トットちゃん広場」とはずいぶんと日の当たり方が違っていた。こちらはほとんど手入れされた形跡がなく、草むした日陰の草地にひっそりと立っていた。

続いて、国道脇の神社で、不思議な手書きの看板を目にした。金の紙で飾り付けられた行灯のような立体物に、「紘八遍徳神」「今月今晩」と墨書されている。「今月今晩」は祭礼の日時を示すものだとなんとなく分かるが、「紘八遍徳神」は、調べてもよく分からなかった。日本書紀を出典とする「八紘一宇」(天下を一つの家のようにまとめること)という言葉あり、これは第二次世界大戦中、「日本の中国・東南アジアへの侵略戦争を正当化するスローガンとして用いられた」(ブリタニカ国際大百科事典・小項目事典)とされている。先の寂れた戦没者慰霊碑と何か関係があるのだろうか。

日が沈む少し前に、大町市街の南大町駅に到着。次回は、大町の資料館で田中さんに教えてもらった「塩の道」のことを勉強してから、仁科三湖(青木湖、中綱湖、木崎湖)を目指す予定だ。

121.jpg

国道脇の戦没者慰霊碑

125.jpg

不思議な看板がかかった神社の舞台

114.jpg

map3.jpg

今回歩いたコース:YAMAP活動日記

今回の行程:安曇追分駅 → 南大町駅(https://yamap.com/activities/10006985)※リンク先に沿道で撮影した全写真・詳細地図あり
・歩行距離=19km
・歩行時間=7時間59分
・上り/下り=209m/48m

プロフィール

内村コースケ

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。外交官だった父の転勤で少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験。かねてから希望していたカメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、海外ニュース、帰国子女教育、地方移住、ペット・動物愛護問題などをテーマに執筆・撮影活動をしている。日本写真家協会(JPS)会員

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

欧米の開発援助削減、30年までに2260万人死亡の

ワールド

米、尖閣諸島を含め日本の防衛に全面的にコミット=駐

ビジネス

インド10月貿易赤字、過去最高の416.8億ドル 

ビジネス

原油先物が下落、ロシアが主要港で石油積み込み再開
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国か
  • 3
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地「芦屋・六麓荘」でいま何が起こっているか
  • 4
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    山本由伸が変えた「常識」──メジャーを揺るがせた235…
  • 7
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 8
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    経営・管理ビザの値上げで、中国人の「日本夢」が消…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 9
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 10
    ヒトの脳に似た構造を持つ「全身が脳」の海洋生物...…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 6
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story